日本で最も過酷な県境

▼1997年に境港市で開かれた山陰・夢みなと博覧会。入場者が190万人を超え大成功だった。しかし期間中、鳥取県の担当者は企画運営する広告代理店にこう要望した。「夢みなと博の入場者が島根県側に流れないようにしてほしい」▼元島根県総務部長で総務省地域活力創造審議官の椎川忍さんは島根、鳥取県境を「日本で最も過酷な県境」と評す。昔から同じ文化圏で人の動きも頻繁なのに県境で阻害されることが多い、と▼

「日本で最も過酷な県境」というのは面白い言い回しだと思った。
島根県鳥取県は「島」と「鳥」の字面が似ているせいかよく混同される。どちらが西にありどちらが東にあるのか知らない人も多いだろう。だが、両県の間には明治以来の確執があるらしい。
鳥取県 - Wikipedia島根県 - Wikipediaをもとに、両県の県境の変遷をまとめてみた。

1871年明治4年)7月14日(旧暦)
廃藩置県により、旧因幡国の8郡(岩井郡・邑美郡・法美郡・八上郡・八東郡・智頭郡・高草郡・気多郡)、旧伯耆国の6郡(河村郡久米郡八橋郡汗入郡会見郡・日野郡)、旧播磨国の3郡(神東郡・神西郡・印南郡)の一部が鳥取県となる。
1871年明治4年)11月15日(旧暦)
松江県・広瀬県・母里県と隠岐地方が島根県として合併。
1871年明治4年)12月17日(旧暦)
隠岐地方を島根県から鳥取県に移管。
1876年(明治9年)8月21日
鳥取県島根県編入
1881年明治14年)9月12日
島根県のうち、旧因幡国の8郡、旧伯耆国の6郡が鳥取県として分立・再置される。

これではよくわからないという人はパラパラ地図都道府県を、鳥取県島根県への編入・分立の経緯については『知らなかった! 驚いた! 日本全国「県境」の謎』をそれぞれ参照されたい。
この経緯が現在の島根、鳥取両県の関係にどの程度影響を及ぼしているのかはわからないが、妙なところで足の引っ張り合いをしてもお互いに得になることはないのだから、それよりもこの地方全体の底上げ*1に繋がるような切磋琢磨を期待したい……と小ぎれいなコメントで締めくくっておこう。

おまけ(その1)

一度は日本地図から姿を消した鳥取県が再独立を果たした9月12日はとっとり県民の日とされている。平仮名の「とっとり」を用いた意図はわからないが、もしかすると「鳥」と「取」のどちらを先に書いたらいいのかという余計な迷いをなくすためかもしれない。

おまけ(その2)

冒頭の記事で言及されている椎川忍氏のウェブログはその名もずばりThinking Shimane and Tottori。写真の大きさに圧倒されます。

*1:平成18年度県民経済計算では、鳥取県が全国ワースト1位で島根県がワースト3位という状態だ。ちなみにワースト2位は高知県