大豆肉の炒め物を作った

大豆肉を買ってきたときには、肉キャベツ炒めにするか肉もやし炒めにするか決めていなかったのだが、結局もやしを使った。それにはそれなりの理由があるのだが、ここでくだぐたと書いても興味を惹かれる読者は少ないに違いない。ついでにいえば、そもそも大豆肉の話題に興味を惹かれる読者自体が稀有だと思われるので、別の話をしよう。
群馬県の体積について考えてみよう。
群馬県の体積について考えるということは、「そもそも群馬県に体積などあるのだろうか?」という問いに真正面から向かい合うということでもある。
言うまでもなく、群馬県には一定の面積がある。国土地理院によれば群馬県の面積は2009年4月1日現在で6,363.16kmだった。群馬県は海に面していないから、県境の変更がない限り、この値が大きく変動することはないだろう。
また、これも言うまでもないことだが、群馬県はただの平面ではない。群馬県の土地に竪穴を掘れば、その底も群馬県だし、群馬県の土地に鉛直に柱を立てれば、その先端もまた群馬県だ。
そうすると、群馬県には当然体積があるということになるように思われる。
しかし、「群馬県の体積」という言い回しには何か通常の言語表現とは違った不自然なものがあるように思われるのもまた事実だ。
仮に群馬県の領域が下は地球の中心から上は成層圏にまで至るのだとすれば、下端から地面まで、地面から上端までのそれぞれの距離が与えられれば、先に見た群馬県の面積をもとにして体積を算出することは容易だ。とはいえ、「じゃあお前が計算してみろ」と言われても計算できないので、今はただ計算が容易だということを指摘するだけだが、ともあれそうやって何らかの値を得たとして、さてそれは「群馬県の体積」と真に呼びうるものなのだろうか?
もちろん、「群馬県の体積」という表現を未定義語とみなした上で、新しく日本語の中にこの表現を適切な定義とともに導入しようとするのなら、上の方法で定義するのはさほど不自然なことではない。しかし、ここで考えようとしているのは、そのような造語についてではなく、既に知られた「群馬県」「の」「体積」という語を結びつけて自動的に得られるような意味があるのかどうか、ということなのだ。
しかし、この話題に興味を惹かれる読者も少ないだろうから、ここでおしまいにする。さようなら。