記念日というフィクション

幕末に「人斬(き)り以蔵」と恐れられ、処刑された岡田以蔵(1838〜65年)の初めての命日祭が11日、高知市薊野北町の真宗寺山の墓前で開かれた。

【略】

以蔵は土佐藩郷士土佐勤王党に参加。藩重臣吉田東洋の暗殺を捜査していた役人井上佐一郎らを次々に暗殺したとして、慶応元年閏(うるう)5月11日(旧暦)、打ち首となった。

【換暦】暦変換ツールで調べてみると和暦の慶応元年閏5月11日グレゴリオ暦では西暦1865年7月3日*1だということだった。
なお、ウィキペディアでは

岡田 以蔵(おかだ いぞう、天保9年1月20日1838年2月14日) - 慶応元年5月11日(1865年6月4日))は、土佐の郷士土佐勤王党に加わった幕末四大人斬りの一人。「人斬り以蔵」と呼ばれた。諱は宜振(よしふる)。

と書かれており命日が異なっている*2
どちらが正しいのかは知らないが、いずれにせよ5月11日に岡田以蔵の命日祭を行うというのは、「5」と「11」という数表現*3に何らかの意義を認めたということなのだろう。
この例では、記念すべき出来事が発生した日と現在との間に、通常用いられる暦法の変更という事態が発生しているために、記念日のフィクション性*4がはっきりと見てとれるのだが、考えてみれば、いま生きている人の誕生日だとか、結婚記念日だとか、そういう類の記念日であっても、それらがフィクションであることに違いはない。『鏡の国のアリス』ハンプティ・ダンプティはそのことを非常に説得力ある仕方で教えてくれている*5
もちろん、記念日がフィクションであるということから直ちにそれが無意味、不合理というような否定的な結論が得られるわけではない。個々の記念日の意義はその記念日ごとに評価されるべきだろう。
で、なんでこんなことを書いているのかといえば、最近思うところあって文化財保護法上の「記念物」について調べる機会があって、「何事かを記念するというのはどういうことなのか?」ということを考えているときにたまたま冒頭で紹介した記事を目にしたからなのだが、全然別の話になってしまったような気もする。文化財保護法の話はまたいずれ。

*1:グレゴリオ暦西暦1865年」という表現はやや冗長な印象を受けるが、暦法紀年法の微妙な関係に踏み入って論じるほどの知識がないので、ここでは【換暦】にそのまま従うことにした。

*2:ちなみにウィキペディアの履歴をみると、2004年3月8日 (月) 08:31に「慶応元年五月十日(1865年6月3日)」と記載され、その後2006年5月10日 (水) 14:53に「慶応元年閏5月11日(1865年6月4日)」に、2006年5月10日 (水) 15:08に「慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)」に変更された後、2006年6月4日 (日) 10:01に「慶応元年閏5月11日(1865年6月3日)」に、2009年10月6日 (火) 14:35に「忌日訂正。出典は朝日日本歴史人物事典」とのコメントつきで「慶応元年5月11日(1865年6月4日)」に変更され、現在に至っている。

*3:「数」「数字」「数表現」の違いについて説明すると長くなるので省略。

*4:「虚構性」と書いてもいいのだが、いわゆる「文学的虚構」とは別の話なので、あえてカタカナの「フィクション」という言葉を用いた。事柄そのものではなく、それらから仮に構成されたもの、という程度の意味なので「仮構」という語をあててもいいかもしれない。

*5:ハンプティ・ダンプティの「非誕生日」についての一連の台詞を参照のこと。