「犯人当てと動機」雑感

今年に入ってからミステリの話題を取り上げていなかったので、今日は先日読んだ『湯船盗人-大富豪同心(11) (双葉文庫)』の感想文でも書こうと思っていたのだが、Twitterで面白い話題を見つけたので、感想文はやめてそちらの話題について考えてみることにした。

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要約すれば、「犯人当て小説では、動機は犯人特定の根拠とならないという考え方もあるが、動機を根拠とした犯人特定ロジックの構築は不可能ではない」ということになるだろうか。これには全く異存はないので、正面きって批判する気は全くない*1のだが、若干留保が必要なのではないかとも思われる。私見を要約すれば「犯人当て小説では、動機が犯人特定の唯一の、あるいは決定的な根拠であることはできないが、動機を根拠の一部とした犯人特定ロジックの構築は不可能ではない」ということになる。おしまい。
おお、終わってしまった。
……もう少し続けよう。
犯人当て小説で動機を犯人特定のロジックとして用いることの困難さは、杉本氏が述べているとおり「動機という曖昧なものはパズルの材料としにくい」からだろう。もう一つの「動機の面から怪しそうな人物が犯人でした、では驚きに欠ける」というのは理由として薄弱なように思われる。というのは、(ここが杉本氏と犯人当て小説についての見方が異なるところだが)、犯人当て小説は必ずしも意外性を重視しないからだ。いや、こう言ってしまうと語弊があるかもしれない。犯人当て小説では意外性が軽視されるというわけではないのだが、問題篇で与えられたデータから論理的に唯一無二の犯人*2を特定できるという条件を満たしたうえで、どれだけ推理のハードルを上げられるかが重視されるため、犯人当て以外のミステリに比べると意外性の順位が下がってしまうのである。
いや、これでもまだ言い足りない。犯人当て小説にとっての意外性は推理の難易度を上げる一要素として副次的な役割を持っている、ということになるだろうか。それとも、意外性とは与えられたデータから読者が想定するであろう状況と解決篇で示される真相との落差によって生ずるものであるが、犯人当て小説の場合には、読者が小説に対して接する態度が異なる(ことが期待される)ため、意外性の質も通常のミステリとは異なることとなり、「動機の面から怪しそうな人物が犯人でした」というような、通常では意外性に欠けるような結末であったとしても、犯人当て小説にとっての理想的な読者*3にとっては意外な結末でありうることもある、と言うほうがいいかもしれない。ここまでくると、ほとんど難癖の域に達しているような気もするのてぜ、この辺で。
さて、犯人当て小説でありながら、動機を根拠として犯人を特定している例として、杉本氏は鮎川哲也の某作品に言及しているが、残念ながら当該作品について詳しい知識は持ち合わせていない*4ので、例示されているシチュエーションを改変したケースについて考えてみたい。大富豪の遺産を巡り、太郎と次郎のどちらかがトリカブトで大富豪を殺したが、次郎はトリカブトを用意する暇がなかったので太郎が犯人だと特定される、ということだが、それなら動機は犯人特定の根拠にはなっていない。明日になれば遺産相続人から外されてしまう次郎には大富豪を殺す強い動機が発生しているということが、犯人特定の根拠ではなくて、むしろ真犯人を隠蔽するミスディレクションとなっている*5事例だ。
杉本氏は「動機の発生したタイミング(この場合は遺言状の書き換え)を明確にし、計画殺人であることとの矛盾を示すことで、犯人当て小説として通用するロジックを構築している」と評価するが、そのような観点でみれば、動機が犯人特定のロジックと関わりがあるのは事実だ。しかし、その程度の関わりでいいのなら、動機によって問題篇の段階で容疑者の範囲を絞り込んでいるような作例はいくらでも見つかるのではないか、という気もする。
ところで、これまで「動機」という言葉を犯行動機の意味で用いてきたが、ミステリではもう一つ別の種類の「動機」もある。それは、「犯人はなぜそのような不可解な状況を作り出した/状況で犯行に及んだのか?」という謎に対する答えとしての動機だ。パズラーで「動機重視」と言われる場合には、たいていこちらのほうを指している。
たとえば、密室状態で死体が発見された場合、犯人はなぜややこしいトリックを使ってまで密室を構成する必要があったのかが問われる。死体の首が切られていた場合にも、犯人はなぜそのような手間のかかることをしたのかが興味の焦点となる。そのような小説ないし趣向を特にホワイダニットと呼ぶこともある。犯人当て小説でもホワイダニットはしばしば見受けられる。
ホワイダニットで問われる「動機」であっても、「たまたま何かの弾みで」とか「ちょっとした気の迷いで」とか「総理大臣が直接私の心に語りかけてきたから」などという可能性を論理的に排除することはできないか、または著しく困難なことが多いので、それだけで犯人特定の根拠としてしまうとやや弱いように思うが、犯行動機に比べると、目に見える状況がはっきりしているため、犯人当て小説でも使いやすいのだろうと思う。実作者ではないので、本当のところはどうなのかはよくわからないけれど。
……とここまで書いたところで時間切れ。そろそろ出勤時刻だ。特に結論もまとめもないが、「雑感」だからご容赦願いたい。また機会があれば続きを書くかもしれないが、たぶん書かない公算大。

*1:なので、今回の見出しは「雑感」とした。

*2:というのは単独犯という意味ではありません。為念。

*3:小説の筋を漫然と流して把握するだけでなく、その一字一句に注意を凝らして、推理しながら読む読者が犯人当て小説の理想的な読者だ……ということにしておこう。このような読者像を押し付けられるのは勘弁してほしいと思う人もいるだろうが。

*4:大昔に読んでいるはずだが、内容を全く覚えていないうえ、読み返そうにも手許に本がないため。

*5:太郎が次郎の動機を意識してあえて次郎に相続権があるうちに大富豪を殺したのだとすれば、単なるミスディレクションではなく、犯人が用いたトリックでもある。