誰もが天才の才能を求めているわけではない

海燕チャットで昨日*1話したことをもとに箇条書きしてみた。

  • 天才の努力の跡は見えにくいので、「才能がすべて」と評価されがち。
  • 現代では面白さを生み出す方法論が確立されているので、それをどううまく使いこなせるかがポイントとなる。
  • 現代の「天才」は概ね宣伝により作られたものである。
  • 大衆は天才の個性を求めているわけではない。
  • 個性や作家性が減じるに従って、逆にわずかな個性にことさら着目する動きが生じる。
  • 集団分業体制の進捗に伴い、マニュアル化・脱個性化の動きはますます進むだろう。

問題は、これらの主張をどうやって検証するか、だ。
言うだけなら簡単だが、論証するのは難しい。

*1:10/23

「ミステリ」と「ミステリー」


少なくとも「トリックはミステリーの生命線」なんて考え方は古すぎる。
「ミステリー」って伸ばして書くのがそもそも相当古いよね(笑。それは言い過ぎか。
「ミステリ」と「ミステリー」のどちらがより昔からある表記なのかは知らないが、何となく「ミステリ」のほうが古めかしい印象がする。というのは、ジャンルの一般的な呼称が「推理小説」から「ミステリー」へと移り変わってきたのはせいぜいここ20年くらいのように思われるのだが、「ミステリ」はポケミスEQMM以来ずっと一部のマニア層の間で用いられてきたからだ。
極端に図式化して表せば、

昭和中期
マニアは「ミステリ」、一般人は「推理小説
昭和後期
マニアは「ミステリ」、一般人は「推理小説/ミステリー」
平成
マニアは「ミステリ」、一般人は「ミステリー/ミステリ」

という感じだろうか。