一本足の蛸

その朝、彼女が深い眠りからさめると、辺りにはむせるほどの磯のにおいがたちこめていた。彼女はそこに巨大な蛸がいることに気がつき、驚いた。さらに驚くべきことに、その蛸は彼女自身だった。
彼女は叫ぼうとしたが声が出なかった。なぜなら彼女は蛸なのだから。
声にならない悲鳴をあげながらも彼女の心の片隅は醒めていて、現状を冷静に把握していた。蛸、すなわち彼女には足が一本しかなかった。頭とも胴ともつかない重くてぐにゃりとした本体から、無数の吸盤に覆われた気味の悪い野太い足がたった一本だけ生えているのだった。足は彼女の意志とは無関係にうねうねと波打つように蠢いていた。その不規則な動きを見るうちに彼女は吐き気を催し、どす黒い墨を吐いた。
これはいったいどうしたことだろう、私はどうしてこんな姿になってしまったのか、と彼女は自問した。昨日までの自分はいったいどこへ行ったのだろうか、とも。
彼女は記憶を探った。昨日までの自分が何ものであったのかを思い出そうとした。一本しかない足をぐるぐると振り回しながら。それが考え事をするときの彼女の癖だった。
朝から昼へとゆっくりと流れる時間の中で、彼女は徐々に記憶を取り戻していった。この動揺と混乱は今日が初めてではない。以前にもあったことだ。繰り返し繰り返し私は自分の異様な姿に驚き、めまいを感じてきたのだ……。彼女の記憶は次第に鮮明に、具体的になっていく。