変な懐疑

いま『哲学思考トレーニング (ちくま新書)』を読んでいるのだが、そのさなかに変なことを思いついた。
雨が降っている(と認識している)ときに、それを疑うことは可能だ。「実は雨が降っているのではなくて、窓の外に撒水車または散水車がいるのではないか」とか。
では、こんな疑いは可能だろうか。「実は雨が降っているのではなくて、解けた雪が降っているのかもしれない」
そもそもこれは何らかの懐疑を表明していることになるのだろうか?