平等とは何か?

Something Orange:[はじめてこの日記をご利用される方へ]
すべての物語を平等に扱うという方針は、以前から海燕氏が標榜していることではあるのだが、個々の作品に対して具体的にどのような態度をとることが「物語を平等に扱う」ことになるのかがよくわからなかった。
で、このたびサイトリニューアルに伴って書かれたこの文章を読んでも、やはり今ひとつピンとこない。


だから、僕はあえていいたいと思います。一見、ジャンクの山ともみえるパルプフィクションも、難解な純文学作品も、その作品の内容以外の要素によって差別してはならないと。人間がひとりひとり違うように、あらゆる作品はひとつひとつ異なる個性をもっているのですから。
このパラグラフを読めば「どのような内容の物語であっても完全に等価なものとみなす」などといったアナーキーな主張*1をしているのではないことがわかる。作品の評価はただその内容のみによってなされるものであって、それ以外の要素は考慮してはならない、という主張だとするなら、非常に穏健で受け入れやすいものだろう。
ただ、何が作品の内容であって何がそうではないのか、という問題が解決されない限りは、この主張は見かけほど明瞭なものではない。「内容以外の要素」としてジャンルが例示されているのだが、果たしてジャンルは個々の作品にとって外在的な要素なのか。むしろ、作品の内容と不即不離ではないのか、という気がする。
一歩譲って、ジャンルが個々の作品にとって外在的な要素だとしよう。その場合、海燕氏の方針に従えば、ジャンルに固有の評価基準を用いて物語を評価してはならないということになりはしないだろうか。それとも、物語の評価にジャンルごとの基準を用いることは差し支えないのだろうか。差し支えないとすれば、いったい物語の平等性はどのようにして担保されるのだろうか。
このように疑問文を並べると海燕氏に喧嘩を吹っ掛けているようだが、そうではない。尺度の問題・その2で述べた問題について考えあぐねていたところ、たまたまその問題を考えるヒントになりそうな文章を見かけたので言及してみただけだ。*2

*1:そんなことをまともに主張する人はほとんどいないとは思うのだが、平等性にかかる主張を吟味する以上はいちおうそのような可能性も視野に入れておく必要がある。

*2:本当にこの文章に対してツッコミを入れるとすれば、物語を擬人化して「平等」とか「差別」という語を適用することの是非を問題にしたいところだ。だが、それをやってしまうと、議論の流れが大幅にずれてしまうので、今のところ一切論じるつもりはない。