古典部こてんぶ

氷菓 (角川文庫)

氷菓 (角川文庫)

愚者のエンドロール (角川文庫)

愚者のエンドロール (角川文庫)

「影法師は独白する」は『氷菓』と『愚者のエンドロール』を繋ぐミッシングリンクまたはミッシングリングである。それは単にこの2長篇*1の間に発表されたというだけの理由ではない。作中の時系列でも『氷菓』と『愚者のエンドロール』の中間に位置するのだ。
「……それだけか」
いや、まあ「ミッシングリンク」とか「ミッシングリング」という言葉を使ってみたかったもんで……。
さて、「影法師は独白する」の粗筋については作者自身の紹介文を参照していただくことにして、早速感想を述べることにする。
若い男女のグループで温泉旅行、とくれば誰もが想像するのは男性陣が女湯を偵察にいって見つかり「きゃ、えっち!」と言われて盛大にお湯をぶっかけられるシーンだろう。あるいは、何らかの間違いまたはやむにやまれぬ事情で主人公(男)が女湯に入ってしまい、そこに女の子が入ってきて一触即発の危機に陥るが、ヒロインの機転により主人公の存在が隠蔽され九死に一生を得る、というストーリーも容易に連想されるところだ。
だがしかし、鬼才・米澤穂信はかような凡庸な常套手段には飽きたらず、新手を発明したのだっ!
未読の人の興を殺ぐことになるから、詳しく説明するのは避けるべきなのだが、入手困難な作品なのであえて紹介しておこう。
温泉宿の夜、折木奉太郎は読書に疲れて気分転換に風呂場へと向かうため廊下に出たところで千反田えるに出くわす。

「あ。どこに行くんですか」
見ると、千反田もタオルを持っている。
「お前と同じだ」
「ここ、混浴じゃないようですが」
「湯船まで同じとは言ってない」
いやぁ、この絶妙な会話、たまりませんなぁ。
で、この後は何事もなくのんびりと温泉に浸かってなごむのだが、話はそこでは終わらない。「風呂場でドッキリ!」などという派手な要素ではなく、しみじみと趣深い萌えが読者を待ちかまえているのだ。高野音彦の、1ページまるまる使ったイラスト*2も相まって、一層感動が深まること間違いない。だが、さすがにそこまで説明してしまうとまずいので、興味を持たれた方は万難を排して「影法師は独白する」を入手し味読されたい。
さて、「影法師は独白する」のミステリとしての側面についても触れておこう。
米澤穂信し、いわゆる「日常の謎」派の旗手の一人として知られている。そして、「影法師が独白する」で扱われているのも、殺人や強盗などの兇悪犯罪にかかわる謎ではなくて、日常のちょっとした謎だ。だが、犯罪にかかわる謎かそうでないかという枠組みよりも、より注目すべきなのは、謎の解かれ方のほうだと思われる。結論から先に言えば、「影法師は独白する」は都筑道夫が提唱した「モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」の系譜に位置づけられるべき作品だ。この小説にはトリックはない。人工的で不自然な犯行計画もない。犯人と探偵の対決もない。神のごとき叡智に基づく解決もない。*3だが、ある人物の行為に潜む心理の謎を解きほぐす名探偵の推理が引き立つ、そんな作品なのだ。
最後に、もう一点。「影法師は独白する」のラストシーンで、奉太郎と千反田は二人だけの秘密*4を共有することになる。これは古典部シリーズにおける人間関係の微妙な推移を窺ううえで、かなり重要なポイントだ。秘密とは、秘密にされる事柄の重要性にかかわらず、それが秘密であるということだけで、大きな意味をもつものなのだから。

*1:氷菓』は作者の意図では連作短篇集だそうだが、この際細かいことは気にしないことにしよう。

*2:古典部シリーズの雰囲気には高野音彦よりも上杉久代のほうが合っているように思うが、このイラストだけは別で、高野音彦にしかなし得ないわざだ。

*3:都筑道夫はこのような小説を「昨日の本格」と呼び、時代遅れのものとみなした。だが、「昨日の本格」が必ずしも悪いものではないことはその後のミステリ史が実証している。都筑道夫の業績は偉大ではあるが、進歩史観的なものの見方をそのまま受け入れる必要はないだろう。なお、米澤作品でいえば『クドリャフカの順番』はどちらかといえば「昨日の本格」に属するもので、このことは米澤氏の作風の幅の広さを示しているといえる。

*4:この事件が、『クドリャフカの順番』171ページで言及しているホータローの活躍のうちに含まれるとすれば、里志にも秘密を伝えていることになるが、少なくとも伊原に黙っていることは確かだ。