数の魔力・狂気のロジック

グスタフ・レオンハルトチェンバロで演奏したバッハの「フーガの技法」が最近廉価盤で出た*1ので買ってみた。今さらレオンハルトか、という気もしないでもないのだが、ライナーノーツにレオンハルトの論文が収録されていて、そこで通常未完成だとされている「フーガの技法」が実は完成していたと主張しているそうなので、ちょっと興味を惹かれたのだ。
フーガの技法」の最後の曲は、3つの主題からなるフーガで、その第3主題にはB-A-C-H、すなわちバッハの名前が織り込まれている。その後に、「フーガの技法」の基本主題が第4主題として登場して完結するはずだったが、その直前でバッハは息絶えた。これが通説だ。
この通説に反して、「フーガの技法」は完結しているという主張には、次の3通りのパターンがある。

  1. 最後のフーガは完成していたが、浄書の途中でバッハが死んでしまい、未完に終わったと勘違いされてしまった。
  2. 未完のフーガは実は「フーガの技法」とは何の関係もなく、出版の際に誤って「フーガの技法」に含まれてしまった。
  3. 最後のフーガは、基本主題が導入される直前であえて途切れさせることにより、逆に不在の主題を強く印象づけるという趣向になっている。

この3つの中でいちばんお話として面白いのは第3のパターン*2だが、レオンハルトは残念ながら(?)第2のパターンに従って、「フーガの技法」完成説を唱えている。その論拠は次の通り。

  1. 未完のフーガが「フーガの技法」の一部だという同時代人の証言は、バッハの死後に間接的に得た情報に基づくもので、信用できない。
  2. バッハは生前に出版を前提として浄書を行っていたのに、曲集が未完成のままその作業を行っていたとは考えにくい。
  3. 未完のフーガには「フーガの技法」の基本主題は現れておらず、このあと続けて第4主題として取り扱うのは形式上不可能である。*3
  4. フーガの技法」は、未完のフーガを除けば2135小節からなる。これは「平均律クラヴィーア曲集第2巻」の小節数と同じである。

この4番目の論拠として挙げられている事柄は知らなかったので驚いた。まるで音楽版「目羅博士」だ。ふたつの曲集の小節数が同じなんて、ふつうは気がつかないと思うのだが。ここにはある種の狂気が感じられる。
さて、数に取り憑かれたのはレオンハルトだろうか、それとも彼はバッハの狂気をトレースしただけなのだろうか。
ところで、玉音放送終戦詔勅)の原稿は御名御璽を含めて815文字で、8月15日に対応しているという説がある。*4フーガの技法」の例とは直接の関係はないが、どちらも数の魔力を考えるうえで興味深いエピソードだ。

*1:asin:B0009I8UKU

*2:最近出版されたミステリで、題材は全く別だが、これと似た着想のものがあった。

*3:どうしてそれが不可能なのかレオンハルトは説明していない。4声部の4重フーガは4つの主題が出そろった段階で自由度がほとんどゼロになってしまい、単調な音楽になってしまう、ということだろうか。

*4:八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)』ではこの説が明確に否定されている。ぜひ参照してもらいたい。