謎と真相/現在と過去

ロジックに関する覚書
リンク先の文章について、気になった点を検討してみる。


そうしてみると、ミステリにおける謎解きとは、一般的には「現在」の(「謎」が生じている)状況をもとにして「過去」を再構築する作業に他ならないといえるでしょう。そして、解き明かされる「真相」とは、「現在」の状況から再構築される「過去」の状況ということになります。*1
ここで、ミステリにおける「謎-真相」の対を「現在-過去」という時制の対と重ね合わせているが、これはかなりミスリーディングな図式化だと思う。というのは、「謎」も「真相」も見方によっては「現在」と「過去」の両方に属するもので、一方が「過去」に属し、もう一方が「現在」に属するというわけではないからだ。
たとえば「離れで新婚夫婦の死体が発見された。昨夜、何者かが離れに侵入して二人を日本刀で斬殺したらしい。だが、離れの周囲の雪の上には全く足跡がついていない。いったい犯人はいかなる手段で足跡のない殺人を成し遂げたのか?」という謎が提示され、名探偵が「見たまえ! 水車小屋の土塀に立てかけてある竹馬に蟻が群がっている。犯人はあの竹馬を用いて離れに侵入し、二人を惨殺したのち、雪の上にのこされた竹馬の跡に予め用意した砂糖を詰めて目立たないように偽装したのだ。竹馬に乗ったままで地面に積もった雪に小細工をしたので、手元が狂って竹馬そのものにも砂糖を振りかけてしまい、蟻が群がっているのだ」と事件を解決したとしよう。「謎」も「真相」も出来事としては同一であり、「過去」の事柄である。また、過去の出来事が「謎」として認知されるのも「真相」が明らかとなるのも「現在」の事柄である。

ここで、「現在」の状況をもとに再構築される「過去」の状況が、「現在」の状況との間に矛盾を生じることがあってはならないのは当然でしょう。これを論理学風に、「謎(「現在」の状況)Pに対して示される真相(「過去」の状況)Qは、Q⇒Pの関係を満たさなければならない」と表現してみます(「過去」の状況がQならば「現在」の状況がPになる、という程度の意味です)。別の表現をすれば、「真相Qは謎Pの十分条件である」といえるでしょう。
論理記号や論理学用語が出てくると話がややこしくなる。要するに、所与の情報(離れに他殺死体が転がっている、雪の上に足跡はない、竹馬に蟻が群がっている……などなど)から、過去の出来事についての仮説(犯人は竹馬で往復した、砂糖で竹馬の跡をごまかした……などなど)を立てたとき、その仮説が信頼できるものであるためには、情報と不整合であってはならない、ということだと思うが、これを論理学風に表現するのは結構難しい。というのは、標準的な論理学では因果関係が取り扱えないからだ。*2
では、どうしてこんなところに場違いな論理学が出てくるかといえば、それは「解明の論理」「解釈の論理」という問題の多い用語に起因するのではないだろうか。謎を解明したり、解釈したりする作業の背景にある、目標や前提などの枠組みを「論理」と呼んでしまったため、論理学風の考察を誘発してしまったのだと思う。
とはいえ「論理」にかわる、ぴったりとした言葉がないのも事実で、たとえば「解明の文法」とか「解釈の思考法」とかいろいろ思いつくのだが、どれもこれもぱっとしない。
ところで、「解明の論理」と「解釈の論理」の違いは謎の種類や謎解きの過程の違いではなくて、「謎-真相」についての構えの違いではないだろうか。
すなわち、

  • 「解明の論理」では、「謎」とは不明なことであり、「真相」は発見されるべきものである。
  • 「解釈の論理」では、「謎」とは不定なことであり、「真相」は発明されるべきものである。

まあ、本当のところは、最初にこれらの用語を使った人に訊いてみるしかないのだが……。

*1:強調は原文。ただし、一部タグを改変している。

*2:ほかにも理由はあるが、強いて列挙する必要はないと思う。