暑さ寒さと温度計

この世で最初に温度計を作ったのが誰なのかは知らないけれど、少なくとも温度計が発明される前はこの世に温度計はひとつもなかったということは確かだ。
でも、この世に温度計がひとつもなかった時代でも、この世に温度がなかったわけではない。それもまた確かなことだ。
そういうと「いや、温度は温度計とともに作り出されたものだ。温度計がなかった時代には、暑さ寒さの感覚だけがあったのだ」と言う人がいるから困ったものだ。
温度計は人の感じた暑さ寒さとは別のものをはかる。怖い話を聞いて寒くなったり、むさ苦しい人を見かけて厚くなったりしても、それは温度計とは関係ないことだ。
でも、たいていの場合、暑さ寒さの感覚は、温度計ではかられる事柄に依存している。それを人は「温度」と呼ぶ。その温度は果たして温度計がなかった時代にはなかったものなのだろうか? もしそうだとすれば、最初に温度計を作った人は、いったい何をはかるつもりでそんなものを考えついたのだろう?
もちろん、「温度」という言葉はなかった。その言葉で言い表される物事のあり方についてのはっきりとした知識もなかったかもしれない。でも、物事そのものがなかったわけではない。そう考えたい。
温度計がなかった時代にも暑さ寒さの感覚はあった。そして、その感覚がたいていはそれに依存し連動しているところのそれもあった。*1それは今で言う温度だった。
温度は一定ではなく、刻一刻と変化する。けれど、温度に関わる秩序はそう簡単には変化しない。だから、温度計があろうがなかろうが、温度はあるのだ。ある意味では、温度は時間を超えてある。

*1:おお、むちゃくちゃ変な言い回しだ。日本語には関係詞がないから仕方がない。