スーパーダッシュ


2本のダッシュ記号(――)で挟んで説明文を挿入する用法があるのだが――つまりこういう書き方のことだ――これを多用したテキストを読んでいると疲れる。
これは、正規の文構成に説明を組み入れるのに失敗しているということであり、むしろ文章的に未完成な証拠なのだ。
ダッシュを多用した文章は読みにくいという指摘は――これはNaokiTakahashiの日記 - エロゲーの「地の文」の続きなので、本来その文脈で読むべきものだが――一般論としてもかなり当たっている――ただし、「完成/未完成」というベクトルからは少しずれているように思われるが――のではないだろうか。たとえば、一つの文の中で複数回用いる――ちょうど一つ前の文――もちろん、「一つ前の文」というのは「ダッシュを多用した文章は……」から始まる文のことだ――でやったように――と、本文と挿入句の区別がわかりにくくなるし、ダッシュで括られた挿入句の中に、もう一つ挿入句を入れる――今、この文の前のほうでやってみた――と、全く意味不明のものになってしまう。これは、ダッシュには括弧のように「開始」と「終了」の区別がないからだ。
これとは別に、挿入句の多用のせいで文章が読みにくくなるという問題もある。こちらの問題は、記号を()や《》に置き換えたからといって解消するわけではない。本文中への挿入ではなくて、脚注にすれば問題は解消する*1が、註釈が多い文章もまた鬱陶しい。
さて、どうしたものか。
寄り道せずにまっすぐに簡潔な文章を書けばいいのだが、それはそれで味気ない。
ところで、ダッシュはたまに強調の意味で使うと効果的なので――今回の文章のように多用すると全然強調にならないが――文章にアクセントをつけたい人は一度試してみるといい。

*1:はてなダイアリーには、半角丸括弧をふたつ重ねると簡単に脚注になるという記法があるので便利だ。