ライトノベルの「復活」

見出しに偽りあり。別にそういう話をするつもりはない。ライトノベルの「発見」ライトノベルの「崩壊」*1と文章を続けて書いたので、何となく調子を揃えてみたくなっただけだ。*2
こんな変な文章を書くことになったもともとのきっかけは、どこかの掲示板で「ライトノベルに評論はいらない。ライトノベル評論家はみんなゴミだ」と書かれているのを読んだからだ。その時、ふと思ったのだ。確かにライトノベルに評論はいらないかもしれない。だが、「ライトノベルに評論はいらない」という主張だっていらないのではないか、と。
そもそもライトノベル評論(家)の存在意義を論じるのに、要/不要という尺度を持ち出すこと自体、あまりフェアではない。とことん切りつめて考えれば、世の中に本当に必要なものなんてそう多くはないが、だからといってそれ以外のものごとをみんなゴミ扱いするのは極端すぎる。
では、どうしてそのような歪んだ尺度でライトノベル評論を非難する人がいるのだろうか、という疑問を出発点にしていろいろと考えているうちにだんだん頭の中で話がずれていって、そもそもなんでライトノベル評論が興ったのだろう、と考えるようになった。
で、とりあえず思いつきを並べたのがライトノベルの「発見」だったわけだ。
そこからさらに考えを深めていけばよかったのだが、やっぱり横にずれてしまって、次に、いわゆる「ライトノベルブーム」の行く末はどうなるのだろう、というようなことを考えた。そこで、新規参入した出版社*3が既存の出版社を巻き込んで共倒れ、という最も悲観的な観測を以前聞いたことがあったのを思い出し、これまたとりおえず思いつくまま文字を並べたのがライトノベルの「崩壊」だ。今から思えば、「悲観的」の対義語を軽々しく使うべきではなかった。はてなキーワードリンクのせいで、全然関係のないプロ野球の話題だと思ってアクセスした人が多くいたようで、申し訳ない。
そうこうするうちに、この種の話題を展開するには、膨大なデータが必要だとわかってきたので、すっかり続きを書く気をなくしてしまったのだが、わざわざはてなポイントをくれた人もいるので、さてどうしようかと検討中。
とりあえず、メモ代わりにRE V の日記 @Hatena::Diary - ラノベブームの内在説、外在説にリンク。これを読んで、「外在説/内在説」という区分が不用意なものだと気づかされた。

*1:「崩壊」というのはあまり穏やかではない。「解体」程度に留めておいたほうがよかったかもしれない。

*2:もしかしたら「発見/崩壊/復活」の三部作の元ネタがどこかにあるのではないかと思った人もいるかもしれないが、残念ながら元ネタはない。

*3:中には出版社ではない会社もあるようだが。