京王線と埼京線の間


たとえば、養分と酸素の入口がほとんど同じなので食べ物がノドに詰まって窒息する恐れがある。なんでこうなったかというと、古い生物に空いていた穴をいきあたりばったりに転用したり、そこに別のものを勝手に追加したりということを繰り返してきたからだ、と考えられる。要するに、グランドデザインがあって作ったらこうはならないだろうという妙な構造が人間の身体には案外多いのだ(「歯と歯茎の間」がその例と言えるかどうかは分からないが)。新宿駅京王線から埼京線までがやけに遠いのとまったく同じこと。駅も人間も、その時々の都合で既にあるものに建て増ししていった結果(進化)なのだ。もっと単純なことをいうなら、目が前だけでなく後ろにもあったらもっと便利ではないか。二足歩行は素晴らしいかもしれないが、自動車みたいな車輪で移動する生物でもよかったではないか。(ジョージ・C. ウィリアムズ『生物はなぜ進化するのか』ASIN:479420809X を参考にした)
引用もとの本題とは全く関係のない話題で恐縮だが、この文章を読んだときに、なぜ京王線埼京線の例が引きあいに出されているのかとっさに見当がつかず、少し首を傾げた。

これを見ると、確かに京王線は図の右上、埼京線は左下で離れているが、それならこの図に出てこない西武新宿駅のほうがもっと離れているではないか。
しばらく考えてから、西武は名前だけ「新宿」でも別の駅だが、JRと京王は同じ新宿駅*1だという認識があるのだろうということに思い至った。
関西人にとっては、相互乗り入れしている場合を除けば、会社が異なれば別の駅だという認識のほうが普通だが、かつての桜木町駅のように別会社で改札も異なるのに番線が連番になっているところもあるので、関東の人はまた別の認識なのかもしれない。
そういえば、在阪大手私鉄大阪環状線と直交しているが、在京大手私鉄のターミナルは山手線に寄り添う形になっている*2という指摘をどこかで見かけたことがある。東西私鉄の自己主張の強さの差を示すいい例だ。

*1:特に言及はされていないが、間にある小田急も当然同じ駅だということになる。では、新線新宿はどうなのだろうか?

*2:ただし、どちらも若干の例外はある。