『神栖麗奈は此処にいる』は何処にある?

いま、この文章を書いているパソコンの隣にはミカン箱が積み上げられている。その数、11。選果場や青果市場ならその程度のミカン箱は数のうちには入らないが、ここは選果場でも青果市場でもない。さらにいえば、中に入っているのもミカンではない。
本やCDやゲームなどがぎっしりと詰め込まれたミカン箱が自室の天井近くにまで積み上げられた光景というのは、実際に似た状況に置かれた人でなければ想像するのも困難だろう。逆にいえば、御同類諸氏に於かれてはたやすくイメージすることが可能だと思料する。
さて、このミカン箱の山は数日前に突然出現したものだ。ある日仕事から帰って部屋に入ると、床や壁際に積んであった本が全部ミカン箱に放り込まれていた。なんでも、隣の部屋の内装を修繕するついでに、この部屋の壁紙も貼り替えることになったらしく、そのために本を整理したのだそうだ。
本の整理と言えば聞こえはいいが、言い方を変えれば、雑然とした秩序の整然とした無秩序への変換だ。今までだったら、何か探している本があれば、心当たりのあるエリアを適当に引っかき回せば、たかだか5分か10分で目当ての本を見出すことができた。だが、ミカン箱の山ではそうはいかない。自分が箱に詰めたわけではないので、どのあたりの箱に何が入っているのか、さっぱり見当もつかないのだ。
困った。すぐにでも必要な今月号の時刻表、そしてコミケカタログが見あたらない。どちらも最近買ったものなので、床の地層の表面付近にあったはずなのだが……。幸い、時刻表とカタログは比較的上段の箱から救出したが、それでも箱を床におろして中のものを外に出したり、多少とも関係のありそうなものをまとめて箱に詰め直したりする作業も含めて、およそ2時間を要した。
次に探そうと思ったのが、今回の見出しに掲げた『神栖麗奈は此処にいる (電撃文庫)』だ。御影瑛路のデビュー作『僕らはどこにも開かない (電撃文庫)』は「イラストのないライトノベル」という話題が先行した感があるが、読んでみるとかなり面白かった。でも1作だけでは作家の真価はわからない。御影瑛路は果たして友桐夏クラスの大型新人なのか? それとも電撃が輩出する小型新人群の一員なのか? ここ数日のまいじゃー推進委員会!での取り上げ方*1をみると、かなり期待がもてそうではあるのだが……。
そんなわけで、今、『神栖麗奈は此処にいる』が読みたい気分なのだが、たかだか1週間前に買ったばかりの本なのに、もはやどこにあるのかがわからない。さて、どうしようか。
仮にミカン箱の探索に2時間かかるとしよう。いま、引っ越し業界のアルバイトの時給がいくらくらいなのかは知らないが、最低賃金でも2時間働けば『神栖麗奈は此処にいる』を2冊くらい買うことができるだろう。ということは、探索に時間を費やすよりも、本屋でもう1冊買うほうがよいということになる。これが合理的思考というものだ。
だが、それぞれでの局面での合理的思考に基づく行動が、総計では非合理的なものになることはよく知られている。ミカン箱の中にある任意の本について同じ判断によりもう1冊買い直すとすれば、本の総量は2倍に増えてしまう。そうなると、探索時間も増すから、本の買い直し傾向が助長され、しまいにはダブリ本の山が築かれることになるだろう。それは不合理だ。
別の観点から考えてみよう。同じ本を複数冊買った経験のある人は多いだろう*2。「本が埋もれてしまったから」というのでは無様だが「期待している作家を応援するため」といえば格好がつく。だから、誰だってそうやって自己正当化しているはずだ。では、今回のケースではそれは該当するだろうか。
自問してみる。
結論は「現段階ではどちらとも言えない」。
『神栖麗奈は此処にいる』が非常に面白く、御影瑛路の今後の活躍に大いに期待できると思ったなら、文庫本の1冊や2冊分の金銭は惜しくはない。それよりも、レーベルの主流から外れているために人気が出ず、埋没してしまうほうが惜しい。*3
だが、惜しむほどの才能があるのかどうかを確認するには、まずは読んでみないと始まらない。つまり、『神栖麗奈は此処にいる』を買う価値があるかどうかは、それを買ってみないとわからないということだ。
なんだ、簡単じゃないか。要するに、本を買うかどうかを決めるときにいつでも感じるジレンマに帰着するのだから。
何かおかしいですか?
うん、おかしいですね。
ここまでの議論にはいくつかツッコミどころがあるのだけれど、書いた本人以外にはわからないポイントをひとつ提示ておこう。それは、この文章を書くのに3時間かかっているということだ。この時間を探索にあてれば、今ごろはもう本を見つけていたことだろう。

*1:まいじゃー分室イラストのないラノベに意味はあるんでしょうか。を含む。

*2:統計をとれば、たぶん平均的な日本人の大多数はそんなことをしていないと思うが、今この文章を読んでいるあなたは平均的な日本人ではないということをお忘れなく。

*3:こういうネガティヴな想定は作家と出版社に対してかなり失礼なのは承知しているが、話の流れの都合で書いてみただけなので、もちろん御影瑛路が今後埋没してしまうと予言しているわけではない。