神栖麗奈此中ニ有リ

神栖麗奈は此処にいる (電撃文庫)

神栖麗奈は此処にいる (電撃文庫)

ミカン箱の山に埋もれた『神栖麗奈は此処にいる』を救出したので、早速読んでみた。面白かった。
この小説の面白さはミニマルミュージックのそれに似ている。同じパターンが少しずつ変形されながら何度も反復されていく面白さだ。
まず「一章 斉藤楓未」で神栖麗奈を巡る物語のパターンが提示される。次の「二章 木檜篤志」ではそのパターンが反復・強化される。語り手の性別も背景も抱えている問題も異なるが、ストーリーの骨組みだけを見れば一章と二章はほとんど同じように見える。
実は既に二章にパターンからの逸脱が仕組まれているのだが、その逸脱が明らかになるのは「四章 豊科和亮」、具体的にいえば266ページ7行目のことなので、「三章 涌井しずか」の段階では、読者はこの作品を「同じパターンに別のパーツをはめ込んだ水戸黄門タイプの連作」という認識で読み進めることになる。
三章では前二章とは違って語り手がパターンに気づき、215ページあたりでパターンからの脱却がほのめかされる。でも、結局、三章の語り手も最終的にはパターンに従った行動をとることになる。このあたりの匙加減が非常にうまい。
四章では、先に述べたように二章に仕掛けられたパターンからの逸脱が明かされるほか、パターンを暴く人物の行動が描かれる。今度こそパターンが破壊されるかと思いきや、前三章とはやや違う結末ではあるもののパターンの基本的な要素は保持されたままとなる。そして「エピローグ」では、これまで何度も繰り返されたパターンの冒頭部分を再現して閉幕となる。
さて、この小説を読んで真っ先に連想したのは、『春待ちの姫君たち―リリカル・ミステリー (コバルト文庫)』なのだが、どこがどう似ているのかを具体的に書くのはまずいのでやめておこう。そのかわりに、二番目に連想した作品を挙げておく。それはケロQのデビュー作『終ノ空』だ。これは18禁ゲームの世界にカントから三浦俊彦まで古今東西の哲学をぶち込んだ怪作*1なのだが、既に生産終了しているのが残念だ。調べてみると、既に『終ノ空』に言及した『神栖麗奈は此処にいる』の感想文があった。
終ノ空』は観念の闘争の物語だ。妄想交じりの私見では、主人公はウィトゲンシュタインで、その敵はハイデガーだ。でもって、『神栖麗奈は此処にいる』にも同じ構図があると思っている。神栖麗奈は言うまでもなくプラトンだから、それに対峙するのはアリストテレスだろう。誰がアリストテレスの役回りを演じることになるのかは今のところわからないが、来月刊行される『神栖麗奈は此処に散る』で明らかにされるに違いない。……と書いてしまうと予想が外れたときに恥を晒すことになるなぁ。でもまあいいや。
毎度のことながら、かなりいい加減な感想文になってしまった。

*1:ただし、三浦俊彦については明示的に言及されているわけではない。