日本推理作家協会賞変革についてのアンケートへの投票

昨日の文章を書いたときには日本推理作家協会賞変革についてのアンケートに投票しないつもりだったと書いたが、その後、昨日のコメント欄でのお誘いもあり、考え直して投票した。項目はもちろん「その他(具体的に提案ください)」だ。
コメント欄でのレスにも書いたが、投票理由を書く際にミスをして文が途中で切れてしまった。
その他(具体的に提案ください) の投票理由の上から4つめのコメントのあとに「賞するのがいいと思います。」が入っているものと思っていただきたい……とここで書くのも変だが、再投票するわけにもいかないので仕方がない。
以下、もう少し詳しく私見を述べておく。
まず最初に確認しておくべきことは、推協賞には二つの性格があるということだ。これは昨日の文章でも触れたので繰り返しになるが、もう一度書いておこう。

  1. 日本ミステリ界の発展に寄与した人を顕彰する功労賞
  2. その年でもっとも優れた作品に与える最優秀作品賞

功労賞は第一次的にはを対象としたものであり、受賞作品は副次的なものに過ぎない。極端な言い方をすれば、「受賞者がその年にたまたま発表した主な作品」という程度の意味しか持たない。
他方、最優秀作品賞は文字通り作品を対象にした賞だ。これも極端な言い方をすれば、受賞者とは「たまたま当該作品の作者の位置を占める人」に過ぎない。
つまり、どちらの側面を重視するかによって受賞者と受賞作品の主従関係が逆転するわけだ。こんな不安定な状態でよく60年も続いたものだ。
推協賞を改革し、どっちつかずの状態を解消するためには、まずこの賞がもつ2つの性格のどちらに重点をおくかを決断するのが筋だろう。その決断は日本推理作家協会内部で行えばいいことで、部外者が立ち入ることではない。ただ、功労賞と最優秀作品賞のどちらが一般読者にとって有益かといえば、間違いなく後者のほうだ。その意味では、室長のつぶやき - 推協賞にまつわるアンケートで述べられている考えがもっとも妥当なように思われる。


さておき、推協賞である。国内産ミステリにとって、推協賞の重要度はどうなのだろう。私見だが、けして重要度的には高くはなく、どちらかと言えば視野に入っていないのではないかとも感じる。「このミス」や「本ミス」の方が、はるかに重要度が高いのは疑いようもない。
(略)
ミステリにおいて「唯一無二の賞」になれとは言わないが、せめて「このミス」「本格ミス」「文春ミス」と肩を並べるようになって欲しいと期待したい。
ただし、ここで室長飛鳥氏が述べているのは、当たり前のことだが、推協賞の改革問題についての一般読者の意見であることに注意しなければならない。もし、この問題を前提とせずにミステリ読者に年間ベスト選びについて意見をきいたなら、おそらく推協賞云々という話にはならないのではないだろうか。なぜなら、読者にとって推協賞の重要度はあまり高くはないのだから。
推協賞が改革されて読者にとって望ましい形で年間最優秀作品を示してくれるなら、それはそれで結構なことである。だが、年間最優秀作品を教えてくれるのが推協賞である必要があるわけではない。「このミス」や「本格ミス」「文春ミス」の改革であっても一向に差し支えないのだ。そう考えると、推協賞がミステリにおいて「唯一無二の賞」であるのは、むしろこの賞がもつ功労賞的性格によるものではないか。
推協賞が功労賞に特化すれば、一般読者の多くにとってはほとんど無縁な賞になるだろう。だが、今だって一般読者にはやや縁遠い賞なのだから、ここはいっそ「ウチはウチ、ヨソはヨソ。本のオビにつけて売ってもらう気はありません。推協賞はミステリの発展と振興に尽力した人々の功績をたたえて、その労をねぎらう賞です。直接は読者に関係ないかもしれませんが、長い目でみればミステリを愛する読者の方々のためにもなると信じます」と言い切ってもいいのではないか。
推協賞を純粋な功労賞にするなら、受賞作品を特定する必要はない。特に目立って優れた作品があれば言及してもいいが、基本的には「合わせて一本」で十分だ。長谷川町子への国民栄誉賞授与は『サザエさん』によるものか、それとも『意地悪ばあさん』によるものか、などと論じる必要がないのと同じことだ。従って部門を分ける必要もない。