ジョン・デューイの2番目の妻
- 作者: 魚津郁夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2006/01/01
- メディア: 文庫
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プラグマティズム以前のエマソンやソローから現役のローティーまで、およそ200年にもわたるアメリカ思想史を辿った本なので、記述も浅く広く、「読んで考えさせられる」という類の本ではない。だから、特にプラグマティズムの考え方について感想を述べることもないのだが、それとは別のところで印象に残った箇所を紹介しておこう。
それは、ジョン・デューイ(John Dewey,1859-1952)の生涯について述べた箇所だ。
デューイといえば、日本では哲学者としてよりも教育学者としてよく知られている。それは、第二次世界大戦後に占領軍が日本の教育改革のためにデューイの教育理論を取り入れたからだ。現在の学校現場でデューイの影響力がどの程度のものなのかは知らないが、少なくともデューイの名前を知らない教師はいない*2だろう。
一八八六年(二七歳)、ミシガン大学の教え子アリス・チップマン(Harriet Alice Chipman,1859-1927)と結婚。【略】一九二七年(六八歳)、妻アリス・チップマン死去。【略】一九四六年(八七歳)、知人の師範学校教師の娘で、幼い頃から知っていたロバータ・グラント(Roberta Lowitz Grant,1904-)と再婚。【略】一九五二年(九二歳)、肺炎にて死去。
そんな歴史上の有名人の妻だった人が今でも生きているということがちょっと意外だった。いや、もしかしたらこの本の出版後に死去したかもしれず、あるいはその前に死去していたのに日本に情報が伝わっていなかったのかもしれないが。
それにしても、このロバータという人の人生には興味をそそられる。87歳のデューイと結婚したのは、彼女が42歳のとき*3だ。それ以前に別の男性と結婚していたのだろうか? それともこれが初婚だったのだろうか? 相手は自分より45歳も年上だが、どう思って結婚したのだろうか? 何か特別な事情でもあったのだろうか?
そして結婚後わずか6年で夫は死んでしまう。もともと高齢だったのだから夫が自分より先に死ぬだろうということは予想していただろうが、いざ先立たれてみるとどんな感情を抱いたのだろうか? その後の彼女の人生はどのようなものだったのだろうか? 再婚したのだろうか? 「高名なデューイの未亡人」として生き続けていくことに、どんな思いを抱いていたのだろうか? そして、長命だった夫よりもさらに長生きをして100歳をこえたときに、どう思ったのだろうか? 今は何を考えているのだろうか? 考えれば考えるほど興味が尽きない。
ここに挙げた疑問のうちのいくつかはデューイの伝記でも調べればわかることかもしれないが、さすがに未亡人の今の心境まではわからないだろうし、そこまで調べる気もない。ただ、ごくわずかな記述の中から想像がかき立てられることもあるということを言ってみたかっただけだ。
……ああ、プラグマティズムと全然関係ないや。
追記
デューイの妻ロバータは既に死去しているそうだ。
1970年……筑摩書房はもっとしっかり校訂しろ!
1970.05.06 Roberta Dewey dies (subdural hematoma) in Miami Beach, St. Francis Hospital [San Francisco Chronicle, 7 May 1970, 39; New York Times, 8 May 1970, 31; Dykhuizen, 322]