狼と用心棒

夏期限定トロピカルパフェ事件 (創元推理文庫)

夏期限定トロピカルパフェ事件 (創元推理文庫)

まずお断り。

  1. 以下の文章は『夏期限定トロピカルパフェ事件』を読んで思ったことをつらつらと書き連ねたものです。
  2. 要するに『夏期限定トロピカルパフェ事件』の読書感想文です。
  3. 粗筋紹介はしていないので、『夏期限定トロピカルパフェ事件』を未読の人が読んでも意味がわからないと思います。
  4. 意味がわかったらわかったでネタをばらしてしまったことになるので、それもまた困ったことです。
  5. というわけで、『夏期限定トロピカルパフェ事件』を未読の人は、以下の文章を読まないで下さい。
  6. 夏期限定トロピカルパフェ事件』は既読だけど『春期限定いちごタルト事件』のほうは未読、という人も読むのをお控えください。
  7. 以下の感想文は3つの節に区切っていますが、その区切りには特に意味はありません。
  8. 小見出しはすべてフランスミステリのタイトルを借用したものですが、これにも特に意味はありません。

牝狼

夏期限定トロピカルパフェ事件』は傑作だ。オビの惹句「緊張の夏、小市民の夏」もケッサクだし、第四章の見出し「おいで、キャンディーをあげる」もケッサクだが、そのようなカタカナの「ケッサク」ではなく、文字通り傑作なのだ。シリーズ前作『春期限定いちごタルト事件 (創元推理文庫)』を読んで楽しんだ人はもとより、『春期限定いちごタルト事件』に今ひとつ物足りなさを感じた人にもお薦めだ。もっとも、ここでいくら「お薦め」と書いても、みんな既に『夏期限定トロピカルパフェ事件』を読んだ後だろうからあまり意味はないだろうけれど。
夏期限定トロピカルパフェ事件』の傑作たる所以は読者の予想を裏切るところにある*1。読者の予想を裏切るということは、ミステリにとっては大切なことだ。ミステリでなければそれほど大切なことでもないかもしれない。でも『夏期限定トロピカルパフェ事件』はミステリだ。誰が何と言おうとミステリだ。
夏期限定トロピカルパフェ事件』に限らず米澤穂信の小説はほとんど全部ミステリだ。だが、どういうわけだか米澤作品のミステリとしての特質はこれまであまり注目されてこなかったように思う。いや、「どういうわけだか」とぼかすことはない。米澤ミステリには派手なトリックも論理のアクロバットもないため、ミステリ読みの視点で評価するのが難しいのだ。だから「ちょっぴりミステリ風味の青春小説」だとか「復讐に燃える小佐内さんに萌え〜」だとか、そういった視点で語られることが多かった。
それはそれで構わない。でも、それだけじゃない。
あまり他の作品にまで手を広げると収拾がつかなくなるので『夏期限定トロピカルパフェ事件』に話を限ろう。
第一章「シャルロットだけはぼくのもの」は倒叙ミステリの形式で書かれている。倒叙形式じたいはそう珍しくもないが、犯人の動機やトリックを隠したり、探偵側の罠で意外性を演出したりするという手法を用いずに、オースティン・フリーマン以来の伝統に則り、純粋な倒叙ミステリとして仕上げているのがポイントだ。「ミステリーズ!vol.13」掲載時にはある重要な証拠品に関する記述が欠けていたが、『夏期限定トロピカルパフェ事件』に収録される際に加筆*2され、より完成度が高まっている。
第二章「シェイク・ハーフ」もまた古典的なミステリのモティーフの一つ、ダイイングメッセージを扱っている。ただし、人によってはこれを暗号ミステリの変形だとみる*3かもしれない。まあ、ダイイングメッセージも広い意味では暗号の一種なので、どちらと捉えてもいいのだが、88ページ10行目で小佐内さんの口から発せられるミステリ史上燦然と輝く名フレーズ*4は明らかにダイイングメッセージを示唆している。
第三章「激辛大盛」で一息ついたのち、いよいよ第四章から終章にかけて大技が炸裂する。ここで用いられている仕掛けの種類についてはさすがに書けないので「読めばわかる」とだけ言っておくことにしよう。
……と、いちおう『夏期限定トロピカルパフェ事件』のミステリ面について書いてみたが、実は、ここに挙げた各要素について読者の予想が裏切られるわけではない。全部見破ることができた、という人は稀だろうが、それでも読者の予想の範囲内だろう。『夏期限定トロピカルパフェ事件』の真の意外性は、れらのミステリ的モティーフとは別のところに――誤解を恐れずにいえば、メタレベルに――所在する。米澤穂信は、この小説の雰囲気に仕掛けを施したのだ。
ここに作者の仕掛けに引っかかった人がいる。


 正直、雑誌に先行掲載された「シャルロットだけはぼくのもの」を読んだときは不安ばかりが募った。同様に先行掲載された「シェイク・ハーフ」を読んだときは、失礼ながら『夏期限定トロピカルパフェ事件』はヤバイことになるんじゃないかと思ったりもした。
夏期限定トロピカルパフェ事件』という一冊の本にまとまってから一気に読んだ人にはちょっとピンとこないかもしれないが、「シャルロットだけはぼくのもの」と「シェイク・ハーフ」をとびとびに読み、『夏期限定トロピカルパフェ事件』の刊行を待った米澤ファンの間には非常に重苦しい雰囲気が立ち籠めていた。「シャルロットだけはぼくのもの」の冒頭は何だ。あの叙述トリックにもなっていないくすぐりは、作者と読者の間の微温的な共犯関係以外の何ものでもないではないか。「シェイク・ハーフ」はあまりにも小粒すぎる。これが、ミステリ・フロンティアで2冊続けて高水準の作品を発表したのと同じ作者か。<小市民>シリーズだって、媒体こそ創元推理文庫だが、ミステリ・フロンティア出張版*5ではなかったのか……という失望と落胆の入り混じった思いに囚われていたのだ。「シャルロットだけはぼくのもの」も「シェイク・ハーフ」も全く予断なし読めば別に出来が悪いわけではないのだが、貪欲な米澤ファンはそれ以上のものを期待し、そして期待が裏切られたと感じたのだ。読者の期待を裏切るということは、ミステリにとっては大変なことだ。ミステリでなくても大変なことかもしれない。
そして、『夏期限定トロピカルパフェ事件』発売の日を迎えたのだった。

わらの女

米澤穂信がいかにして読者の期待を裏切ったかのように見せかけ、そしてその後、失望した読者の予想を裏切って驚嘆させたのか、ということは一々説明する必要もないだろう。思えば、『春期限定いちごタルト事件』の時とはうって変わったかのような小佐内さんの不自然な言動、そして当面の本筋とは直接関係なさそうな小さなエピソードや描写の数々、そこに読者の予想を裏切りつつも、読者の期待を裏切ることのないあの結末への伏線が密かに張られていたのだ。常に進化し続ける作家、米澤穂信の面目躍如……でも、これが進化の袋小路ではないかという気もする(予想)……いや、これが作家米澤穂信の到達点ではないはずだ(期待)。
『秋期限定モンブラン事件』*6では予想と期待のどちらが裏切られることになるのだろうか? そんなことは一介の読者には知りようもないのだが、もしかしたら次作以降と関係のありそうな事柄をいくつか挙げておこう。

  1. ある知人が『夏期限定トロピカルパフェ事件』を読んで「扱われている事件の構図は『犬はどこだ (ミステリ・フロンティア)』と同じだ」と指摘した。全然気づかなかった*7が言われてみると確かにそうだ。もっとも完全に同じというわけではなくて、少なくとも「青い十字架」と「死とコンパス」の差くらいの相違はある。
  2. 夏期限定トロピカルパフェ事件』138ページ7行目で、小鳩君は一般に流布した言葉を恐らくはほとんどの人が知らない法律用語で言い換えている。この言い換えは法的には正しいのだが、別に言い換えなくても何も支障はない。もちろん言い換えても構わないのだが、一人称の視点人物のモノローグでそれをやってしまうと当該人物の性格を規定するとなってしまう。もちろん、もともと小鳩君はそういう性格でそういう知識の持ち主なのだが、小佐内さんならこの言い換えを行わなかっただろうか? ハンペーや女帝ならどうだったろう?
  3. 第四章で米澤穂信の小説としては珍しく三人称の記述が挿入されている。しかも無視点の客観描写だ。別に小鳩君が後から知ったこととして伝聞の形で書くことも可能だったはずだが、あえてこのような叙述スタイルをとった意味はなんだろうか? 小鳩君の視点で完結していた世界に異物が侵蝕しつつあるということかもしれない。三人称客観視点というのは誤りで何らかの叙述トリックが仕掛けられているのかもしれない。また、小鳩君の視点では決して語ることができない出来事への伏線だと捉えることも可能だろう。

シンデレラの罠


「だから第一に考えるべきは、『半』から一目瞭然に類推される何かをぼくが知っているかどうかなんだ。健吾は知っているだろう。そして、健吾はぼくに宛ててこのメモを残したんだから、ぼくもそれを知っていることを前提にしたはずだ。どんなに慌てていても、自分しか知らないことをメッセージにするような間の抜けたことは、いくらそれがあの堂島健吾でも、さすがにしないだろう、とぼくは信じたい」
これは第二章「シェイク・ハーフ」の一節*8だが、当座の話題を超えて、コミュニケーションや解釈についての一般的な原理としても読むことができる。意味不明なメッセージを前にしてそれを無意味なものとしてではなく有意味なものとして読み解こうとするとき、人は必ずこの方法によらざるを得ない。さらにいえば、意味不明ではないメッセージの場合も暗黙のうちに同じ方法を適用しているはずだ。
インタビュー記事か何かで読んだ記憶があるのだが、米澤穂信は学生時代に比較文化論を専攻していたそうだ。この学問分野についてはよくは知らないのだが、当然異文化コミュニケーションの問題とも関わっているのだろう。文化間の価値基準や行動様式の違いが生むギャップは『さよなら妖精 (ミステリ・フロンティア)』でも取り上げられているが、原理的には同文化を共有している人の間でも同じことが起こりうる。文化人類学者のフィールドワークと常民の日々の生活の違いは程度問題に過ぎず、人は常に根源的解釈を強いられているのだ。「シェイク・ハーフ」はそのことを我々に改めて教えてくれるのだ。
……ごめん。
これ、本気にしないように。これを読んで、小説の作者の学生時代の専攻分野を引きあいに出して小説そのものについて語るというやり方を真似してみたかっただけなんだ。評論風の語りは難しいなぁ。
さて、そろそろこの駄文も終わりに近づいてきた。もう一息だ。
最後に一つ不満を述べておこう。
夏期限定トロピカルパフェ事件』にはカバー絵以外にイラストがない。これは残念なことだ。片山若子の味わいのあるイラストをもっと見たかったと思っている人は多いに違いない。せめて一章に一枚、それがダメでも「シャルロットだけはぼくのもの」と「シェイク・ハーフ」初出時のイラストの再掲だけでもやってほしかった。
それと、やっぱりミステリには図面の類が必要だと思う。口絵折り込みで<小佐内スイーツ・セレクション・夏>の地図が掲載されていたら、どんなによかったことだろう!

*1:いや、別にそれだけというわけではないのだが、この作品の魅力や美点を列挙していくのは大変だし、それを読む人のほうも退屈するだろう。そういうわけで多くの読みどころを無視することになるが、ご了承願いたい。

*2:51ページ第4段落など。

*3:解説でもそう書かれている。

*4:と書きながら、このフレーズの出典が思い出せない。確かエラリー・クイーンの国名シリーズのどれかだったと思うのだが……。

*5:春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件』ともに、カバー下部にミステリ・フロンティアの飛行船マークが描かれている。

*6:汎夢殿予定情報一覧に掲載されている仮題。汎夢殿の掲示板を見るとモンブランとマロングラッセを両天秤にかけているそうなので『秋期限定マロングラッセ事件』となる可能性もあるかもしれない。

*7:件の知人も読了後に初めて気づいたという。

*8:90ページ