銭形平次は意外と銭を飛ばさない

銭形平次捕物控 新装版 (光文社文庫)

銭形平次捕物控 新装版 (光文社文庫)

恥ずかしながら銭形平次を読むのはこれが初めてだ。「えっ、こんな名作を?」と「うん、名前だけは知っててもふつう読まないよなぁ」、どっちの反応のほうが普通なのか、ちょっと予想がつかないのだが、ともあれ銭形平次のことを全然知らない人はあまりいないだろう。悪人に向かって銭を投げることで知られた捕物名人だ。もちろん架空の人物だが。
昔のテレビドラマではほとんど毎回投げ銭で決めていたような記憶があり、いったいこんなに銭を投げて平次の懐具合は大丈夫なのだろうかと子供心にどうでもいいことを心配した覚えがある。もちろん、大丈夫なのだ。銭を投げつけた相手に逃げられてしまったら、文字通り「盗人に追い銭」だが、平次はヒーローだから決して逃がさずに仕留める。そして、ヒーローだからかっこ悪いところは見せないけれど、後でこっそり銭を回収しているはずだ……と子供心にどうでもいい仕方で納得したことも記憶に残っている。
ところが……。
この本はアンソロジーで、短篇10篇が収録されているのだか、うち平次が銭を飛ばすのはわずか1篇だけだ。長篇から短篇まで全部合わせると400篇近い大シリーズなので、なかには銭を飛ばさない話もあるだろうが、だからといってわざわざそんな話ばかり選りすぐって収録したとも考えにくい。そりゃただの天の邪鬼だ。だとすれば、もともと平次はあまり銭を飛ばさないのだろう。わずか10篇を読んだだけで偉そうなことは言えないのだが。
考えてみれば、平次が放った銭が宙を飛び悪人の額に突きささるシーンは、映像で表されてこそ映えるが、文章で描写してもさほど華があるわけではない。なんといっても一瞬のことだから、激しい鍔迫り合いのような緊張感がないのだ。だから、毎回毎回銭を投げるシーンを入れることもない。また、『銭形平次捕物控』に登場する犯人は、銭が当たって痛い目をして当然の極悪人よりも、やむにやまれぬ事情で罪を犯さざるをえなかった市井の人々のほうが多いのだから、投げ銭の出番が少ないのも当然といえる。
この発見は新鮮だった。既に知っている人にとっては意外でも何でもないことなのだろうが、予断を持って本を読むうちにどんどんそれが崩されていくのは一種独特な快感を伴う体験だった。
でも、これから続けて嶋中文庫版を読もうという気にはならないなぁ。