物語は熱く、資本は冷たい

ゴールデンウィーク直前に発売され、各所であっという間に売り切れた幻の書。連休も明けたのでそろそろ増刷分も出回ってくる頃だが、なんとなく癪なのでもう買わないことにしようかと思っていたのだが、幸か不幸か会社の近くの書店に初刷が残っていたので、ついふらふらと買ってしまった。
早速一読したのでこれから感想を書くわけだが、その前にちょっとおさらい。アニメ化以前から「ハルヒ」シリーズに親しんでいた人にとっては特に目新しい話ではないが、まあいちおう念のため。
よく知られた話だが、『涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)』のマンガ版はこれが最初ではない。かつて、こんなマンガもあった。正直言って出来がちょっとアレで、「キョンの語りが醸し出すあの味わいは、やっぱりマンガでは再現できないよなぁ」とフォローするしかなかった。このヴァージョンは1巻発売直後に諸般の事情で打ち切りになってしまい、今ではほとんどなかったことにされてしまっているが、この成り行き自体が期せずして『涼宮ハルヒの憂鬱』のメタファーになっている。
マンガがこけても原作の小説そのものには直接の影響はないがメディアミックス戦略上は具合が悪かろう、電撃に比べると今ひとつぱっとしないスニーカーの一枚看板なのにいったいどうするのだろう、と他人事ながら気になっていたのだが、さすがは角川、マンガ家のすげかえという技で乗り切った。資本は常に非情だ。
というわけで、無事アニメ化にあわせて出版されたマンガ版「ハルヒ」第1巻だが、黒歴史版に比べるとかなり原作に忠実で、その分ストーリーの進み具合もゆっくりとなっている。さすがにキョンの微妙なモノローグを全部再現するところまでは至っていないが、まあ雰囲気はよく出ていると思う。ただ、一つ難をいえば、長門有希がかわいくない。全然かわいらしさが感じられない。ちょっと唸ってしまった。
感想はこれくらいにしておいて、最後にどうでもいい話。原作の「ハルヒ」は一冊ごとに別のタイトルがついていて、シリーズを通したタイトルは特にないが、マンガ版とアニメ版では原作の1巻目に当たる『涼宮ハルヒの憂鬱*1が総タイトルとなっている。これは何だかバロック音楽のジャンルのひとつ、「序曲」*2を思い起こさせる。いや、本当に序曲のことを連想した人はほとんどいないとは思うが。

*1:ただし、『涼宮ハルヒの憂鬱』が出版される前に短篇連載が始まっているので、ちょっと話がややこしい。

*2:組曲の一種で、フランス風序曲とそれに続く舞曲からなる。