読書の時間、読書感想文の時間

本を読んで感想文を書くという習慣がすっかり身に付いてしまった。読んだ本の感想を全部書いているわけではなくて、マンガの感想は書かないことのほうが多いが、小説の場合はだいたい8割方感想文を書いている。
感想文を書くということは、自分以外の他人の領域*1にずけずけと踏み込む行為に他ならないから、ただの駄文を書き連ねるよりずっと慎重に事にあたらなければならないし、そうしているつもりだ。「いや、全然そんなことないぞ」と思われる人がいるとすれば、それは全く不徳の致すところだ。申し訳ない。
もともと本を読むスピードがあまりはやくないのに、その上貴重な余暇を感想文に費やすとなると、読書ペースがぐんと落ちる。「こんなどうでもいい感想文を書く時間があれば、その間に別の本を読んだほうがいいのになぁ」と思わないでもない。でも、読書の時間を割いて感想文を書き、そのせいで読めるはずだった本が読めなくなるという本末転倒からなかなか抜け出すことができない。馬鹿げた話だ。
馬鹿げた話ではあるのだが、全く理由がないわけではない。一つには、ある本から別の本へ移る前の気分の区切りという意味がある。もっとも、気分転換のためだけに何時間も浪費するのだとすれば、やはり馬鹿げたことだろう。
もう一つ別の理由もある。こちらのほうが少しはましだ。感想文を書くという行為自体が、読書の価値を高めることを無意識のうちに期待しているのだ。「のだ」と断定調に書いたが、その前に「無意識のうちに」と付け加えていることからもわかるように、これは確かな理由とは言えない。むしろ、自分自身の行動をいかにすれば合理的に解釈できるのか、と考えた末に思い浮かんだ仮説にすぎない。だが、他人にとっては仮説だろうが事実だろうが関係のない話なので、今は確証済みの事実として話を進めることにしよう。
本を読むというのは受け身の活動だ。既に書かれて決定された内容をただなぞるだけなのだから。ただし、受け身であるということは、機械的であるとか、自動的であるということを意味するわけではない。内容のなぞり方にもいろいろある。書かれている事柄を忠実に辿って確実に理解することもあれば、中途半端な理解に留まることもあるだろう。また、勝手読みで誤解することだってある。
「誤読もまた楽し」とうそぶくこともできようが、たいていの誤読は凡庸で退屈なものだ。創造的で新鮮な誤読ができるのなら金を払ってでも体験したいが、本の内容を十分理解できずにつまらない誤解をするのは金を貰っても願い下げだ。それこそ、時間と労力の無駄というものだ。
つまらない誤読を避けるには、感想文を書くのが役に立つ。より正確にいえば「よし、この本は面白そうだから気合いを入れて感想文を書くぞ」と決意して、その決意のもとで気合いを入れて本を読み、その後に感想文を書くのが有益だ*2
もちろん、いつも感想文を書くという決意のもとで本を読んでいるわけではないし、感想文を書くかどうかを予め決定してから本を読むことすら稀だ。多くの場合は、ある程度本を読み進めたときに、何か興味を惹かれる事柄に出くわし、それを少し掘り下げれば多少はまとまった感想文が書けるのではないかと思いながらさらに読み進めることになる。その際、文字を追うスピードは自ずとふだん以上に遅くなり、ときおり本を閉じて考え込み、あるいは通り過ぎたページを繰りなおして読み返すことになる。そうやって、時間をかけて本を読んで、結果、思考がまとまらずおざなりな感想文しか書けないこともある。だが、感想文を書くために本を読むわけではない*3ので、それはそれで構わない。もちろん、十分納得のいく思考の筋道を見つけ出し、それに従って感想文が書けるなら、それに越したことはないのだけれど。
ときおり、毎日どんどん本を読んで、ネットに読了報告をアップしている人を見かけるとうらやましく思うこともある。「ああ、この人は積ん読とは無縁なんだろうなぁ」と思いつつ、部屋の隅の本の山を見上げて溜息をつくこともある。そんなときは「ヨソはヨソ、ウチはウチ」という格言(?)を自分に言い聞かせることにしている。
いかに本を速く、大量に読むのかを売りにしているわけではなく、とにかく情報を頭に叩き込んで消化することを求められているわけでもない。ただ、楽しみのために本を読んでいる*4のだから、焦らずにゆっくりと時間を使えばいいのだ。感想文を書くのに、取り上げた本を読むのに費やした以上の時間がかかってもいいじゃないか*5
とはいえ、読書感想文ですらないこの文章を書くのに2時間半を費やしたのはもったいなかった。今は後悔している。

*1:それは必ずしも作者に限ったことではない。同じ本を読んだ他の読者のこともあれば、それ以外の関係者のこともある。

*2:さらにもっと正確にいえば、このように気合いを入れて本を読みさえすれば、その後に感想文を書く論理的必然性はない。読書と感想文の関係は借金と返済の関係に似ている。

*3:さっきと矛盾したことを言っているように思う人もいるかもしれないが、ここには矛盾はない。

*4:なお、ここでいう読書の楽しみは、本を読んでいる最中に感じる楽しい気分のみを指すわけではない。感想文を書くのも読書の楽しみのひとつだ。

*5:誤解のないように補足しておくが、読書時間より感想文を書く時間のほうが余計にかかることはたまにしかない。