『仮面幻双曲』について

仮面幻双曲 (小学館ミステリー21)

仮面幻双曲 (小学館ミステリー21)

はじめに

今日はあまり時間がなく、明日以降はもっと余裕がなくなる予定なので、走り書き程度の感想となります。未読の人に配慮してなるべくぼかした書き方をするので、意味のとりにくいところがあればすみません。また、誤読や事実誤認があればご指摘下さい。

テンプレートについて

『仮面幻想曲』を読んで「推理小説といっても、推理小説である前に、まず推理小説であるのだから、人間が描けていないといけない……」というフレーズが脳裏をかすめた。きっと、誰かこんな論調で書評を書くだろう。いや、もう書いている人もいるかもしれない。
そのような視点からの批判に対して、異議を唱えるつもりはない。ご自由にどうぞ。
ただ、ここではそのようなテンプレに頼った感想文を書くつもりはない。あくまでもミステリとしての仕掛けとそれに付随する事柄に限ってコメントする。その点、ご了承願いたい。

原型作品について

『仮面幻双曲』は、以前ネット上で犯人当て小説として公開された『双竜町事件−仮面幻双曲』を改題改稿したものだ。原型作品のほうは、問題篇は無料でダウンロードできたので読んでみたが、全然犯人もトリックも解らなかった。その時の感想文はこちら。残念ながら、解決篇は有料だったので読んでいない。
今はネット版を読み返す時間の余裕がないので記憶に頼って書くが、人物の設定や配置、ストーリーの流れには大きな違いはないようだ。ただ、ネット版で読んだ記憶のないデータもいくつかあったので、そのあたりは後に加筆訂正された部分なのだろう。ミステリ作家の作品構成方法を知る上で興味深い資料になるかもしれないので、そのうち読み比べてみようと思っている。

タイトルについて

ネット版のときからちょっとどうかと思っていたのだが、『双竜町事件』がすっぽ抜けて『仮面幻双曲』だけになると、ますます違和感が募る。「幻双曲」というのは「幻想曲」の捩りだが、どうにも捻りすぎのような感じがするし、全然幻想的ではない作品を幻想曲に喩えるのも解せない。ルネサンス期の幻想曲の中には厳格な対位法に基づくものもあるので、その意味ではこの作品に合っているのかもしれないが、ルネサンス音楽を思い浮かべながら『仮面幻双曲』を読む人もほとんどいないだろう。
『双竜町事件』のほうがよかったんじゃないかなぁ、と思うのだが、営業上の判断だったのだとすれば文句を言う筋合いのものでもない。難しいところだ。

双生児について

作者の大山誠一郎京都大学推理小説研究会だが、その機関誌「蒼鴉城」*1第16号*2に「館にて」という作品が掲載されている。作者名は「羅生門明」で、どうやら若き日の大山誠一郎らしい。
それはさておき、「館にて」の一つ前に掲載されている「探偵の正月――あるいは下駄屋敷の犯罪――」*3が双生児を扱った小説で、ミステリ読者が案外引っかかりそうなある固定観念をうまく使った佳篇だった……と記憶している。なにぶん15年以上前に一回読んだだけなので、かなりうろ覚えなのだが。読み返してみたいが時間がないので先に進む。
ネット版『双竜町事件』を読んだときに真っ先に連想したのがこの作品だった。そこで、同じ仕掛けが施されているのではないかと疑ってみたのだが、その解釈に合致しない記述があって、どう考えても成立しない。でも、どう考えてもほかに解釈はないはずだ。というわけで頭を抱え込んでしまった。
このたび『仮面幻双曲』を最後まで読み通してみて、作者の企みの深さに感心した。大山誠一郎は、『仮面幻双曲』の設定から「探偵の正月」の仕掛けを連想する読者*4を標的にして、自ら頭を抱え込むジレンマに落ち込むように罠を仕掛けているのだ。
逆にいえばその解釈に思い至らない読者にとっては、「ふつうに意外な結末」でしかないかもしれない。それは残念なことだ。これから『仮面幻双曲』を読む人は、ぜひ智恵を絞ってほしい。

琴と菊について

作中に琴と菊が出てくる。なら、あれも出てこないと嘘だろう。そう思いながら読んでいたのだが、最後まであれがそのものずばりの名称で出てくることはなかった。もの自体は出てくるのだけど。

夜行列車について

168ページに次のような台詞がある。


「わかりました。今夜の夜行列車の切符を買いにやらせます。それで上京なさってください」
どうも指定席を前提にした物言いのようだが、昭和22年11月当時、滋賀県の湖北地方と東京を結ぶ列車に指定席があったのだろうか? あったとして、そう簡単に手配できたものだろうか? これがどうもよくわからない。
同じ夜行列車について173ページに次のような記述がある。

翌二十四日朝。夜行列車で東京駅に着いた奈緒子と圭介は、へとへとになっていた。二等車の車内は物資買出しの乗客でいっぱいで、ろくに眠ることができなかったのだ。
これ、三等車の間違いじゃないかなぁ。
……いや、まあ、本筋とは関係のない話なんだけど。

献血運動について

事件の起こる少し前に双竜町では町ぐるみの献血運動が行われていた、ということになっている。では、集められた血液はどうしたのだろう? 冷凍して日赤血液センターへ運んだのだろうか?
これはさっきの夜行列車の件よりは本筋に関わりがあるので、よけい気になった。

フェアプレイについて

『仮面幻双曲』は設定だけを見ても人物の入れかわりや一人二役が予想されるので、地の文で多少ルーズな書き方をしても青筋立てて「アンフェアだ!」と怒る人は少ないだろう。というか、いまやいかなるミステリに対してもフェアプレイがあまり重視されなくなりつつある。
にもかかわらず、大山誠一郎はきっちりと書いている。法月綸太郎もそうだが、小手先の叙述トリックを弄ぶのではなく、真の意味で「ミステリの叙述はいかにあるべきか」ということを考えている。さすがは京大ミス研出身! この二人を見習って……(以下、諸事情により自粛)。

おわりに

まだいくつか書き漏らしていることがある*5のだが、時間がないのでこれでおしまい。万人にお薦めというわけではないが、本当にミステリらしいミステリが読みたい人は是非読んでみてください。
なお、同じ著者の『アルファベット・パズラーズ (ミステリ・フロンティア)』も一緒にお薦めしておこう。

*1:「そうあのしろ」が正式な読み方が、「そうあじょう」と読む人も多い。

*2:奥付によれば発行日は昭和65年11月22日だそうだ。

*3:作者は「潮須定哉」という人物だが、とういう人なのかは知らない。

*4:「探偵の正月」そのものを読んだことのある読者はさほど多くないと思うが、これを読んでいなくても明敏なミステリファンならその解釈に到達することはさほど難しくない。というか、あからさまに手がかりを配置して誘導しているふしがある。

*5:第二の事件のトリックはいくらなんでも無茶だろう、とか。