「文字禍」あるいは「ジーグ ニ長調」
中島敦の小説の中で「山月記」は「李陵」と並ぶ名作として知られている。だが、この「山月記」と対になる「文字禍」*1はあまり知られていない。いや、全く知られていない知る人ぞ知る幻の作品というわけでもなくて、ごくふつうに文庫本に収録されている*2のだが、ともあれ「山月記」ほどの有名作ではない。残念なことだ。
もちろん「山月記」の素晴らしさを否定するわけではない。「虎だ、お前は虎になるんだ!」という呼び声とともに変身した主人公の滑稽さには心を打たれるものがある。だが、読んでいる最中には大いに笑えて、読み終えた後にはさっぱりと忘れ去ってしまう、という清々しさをもった「文字禍」の魅力も捨てがたい。幸い、青空文庫にも収録されているので未読の人はぜひ一読されたい。
さて、ヨハン・パッヘルベルの「カノンとジーグ ニ長調」のうちの「ジーグ」もまた「文字禍」と同じくらい不遇な作品だ。「カノン」のほうは非常に有名でバロック音楽ファンでない人にもよく聴かれているというのに、「ジーグ」はどうだ。これも知る人ぞ知る珍曲というわけではなくて、ごくふつうに「バロック名曲集」の類のCDに収録されている*3のだが。
いや、「カノン」がつまらんと言っているわけじゃない。あれはあれで聴いていて心地よい。でも、「ジーグのほうがより快活で、踊るようなリズム感に溢れている。まあ、ジーグというのはもともと舞曲だから当然だけど。せっかく荘重な「カノン」*4と軽快な「ジーグ」がセットになっているのだから、「ジーグ」にも耳を傾けてみてはいかがか。
さて、「ふたつのものごとがついになっているのに、一方ばかりがもてはやされたり脚光を浴びたりして、もう一方が今ひとつぱっとしない」という例は他にも挙げられそうだ。漫才とかお笑いコンビにはよくあることだろう。某新人賞を同時受賞した2人の作家のうち一方はベストセラー作家、もう一方は……という例も思いついたが、これはまあ具体的な名前を挙げないほうがよさそうだ。ほかには……建築物だと龍岡城五稜郭とか。
えっと、今日の話題には特にオチはありません。ごめんなさい。