続・ねことか不妊手術とか

一本足の蛸 - ねことか不妊手術とかの続き。
まず、練習問題を一つ。
地上のすべての猫の数をnとし、それぞれの猫に1〜nの番号をつけたとする。いま、

  • 猫1に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫2に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫3に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫4に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫5に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫6に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫7に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫8に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫9に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫10に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫11に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫12に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫13に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫14に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫15に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫16に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫17に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫18に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫19に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • 猫20に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。
  • (中略)
  • 猫nに不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。

というn個の主張がなされて、そのすべてが正当な主張だとしよう*1
すると、

  • 地上のすべての猫に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる。

もまた正当な主張だろうか?
もし、これが正当な主張でないとすれば、なぜそうなのかを説明せよ。
答えはこのすぐ下に書くが、できればそれを見る前に自分で考えてみてほしい。簡単でしょ?
……(ただいま休憩中。コーヒーを飲んでいます)……
……(休憩終了)……
では、さっさと答えを書こう。「地上のすべての猫に不妊手術を施すには10,0000円あれば足りる」という主張はもちろん正当なものではない。これはn個の正当な主張(と仮定されたもの)から導かれるものではない。「10,0000円あれば足りる」という特徴は、猫1〜猫nまでについてそれぞれ成り立つことなのだから、結論でもそれが保持されなければならない。正しくは「地上のすべての猫に不妊手術を施すにはそれぞれ10,0000円あれば足りる」と結論づけられるべきだ。つまり、「地上のすべての猫に不妊手術を施すには(10,0000×n)円あれば足りる」となる。
では、次の問題。最初に掲げたn個の主張がすべて正当なものだとして、

  • 地上のすべての猫に不妊手術を施すには(10,0000×n)円あれば足りる。

もまた正当な主張といえるだろうか?
この修正済みヴァージョンの結論はうまくいきそうな感じがする。でも、よく考えてみよう。地球上のすべての猫に不妊手術を施そうとすれば、世界中の獣医は大忙しだ。需給バランスが崩れるから手術費用が値上がりすることは避けられないのではないか。そうだとすると、手術費用の総計が(10,0000×n)円を上回るかもしれない。上回ると決まったわけではないが、「かもしれない」と言えるというだけで、この結論が正当な主張ではないということになる。
どうしてこうなるのか。ここでもう一度自分で考えてもらいたいが、それを待っている時間がないので、私見を書いておこう。
それは、ものごとの経済的価値は単独で成立しているのではないからだ。経済はネットワークをなしている。
ある経済ネットワーク内の事象について、それぞれ個別にみれば正当な主張がなされたとしても、それらの主張をすべて同時に行ったときに正当な主張にならない、というのは別に奇妙なことでも不合理なことでもない。それはネットワークのごく基本的な特徴を反映しているだけのことだからだ。
さて、ネットワークをなしているのは別に経済に限ったことではない。道徳もまたネットワークをなしている。ものごとの道徳的価値は単独で成立しているのでなく、他のものごととの関わりの中で成立していることがらだ。
非常に大雑把で乱暴な言い方をすれば、経済や道徳においては、「A」と「B」から「AかつB」は一般には帰結しない。というのは、「A」も「B」も背後にネットワークを背負っているからで、明示的に述べられた言葉のかげに膨大な数の暗黙の条件が横たわっているからだ。条件をいちいち全部言挙げすることができないので単に「A」とか「B」とか言っているわけだが、背後の事情に配慮して「かくかくしかじかの条件のもとでA」「かくかくしかじかの条件のもとでB」と言うことにすれば、そこから「かくかくしかじかの条件のもとでAかつB」が論理的に帰結するためには、ふたつの前提に含まれる「かくかくしかじかの条件」が同一でなければならないことは明らかだろう。
「A」と「B」というふたつの主張だけが問題だとすれば、「かくかくしかじかの条件」が完全に同一ではなくても、ほぼ同一視できるものだと期待できるかもしれない。しかし、そこに「C」とか「D」とか「E」とか「F」とかがどんどん加わっていったなら、それらの連言が成立しなくても何も不思議はない。
人によっては、これを論理の限界だと捉えるかもしれない。だが、これはむしろ言語の限界ではないだろうか。我々の言語は、ネットワーク内の事象をそれがまさにそうである仕方で過不足なく言い表すのが苦手だ。そこで、ときには単純化しすぎて、本来普遍的に妥当するはずの論理がうまく運用できない事態も生じる。
とはいえ、「じゃあ、言語を捨てましょう」という話にはならない。我々が今もっている言語の代わりになるような思考のツールはほかにないのだから、騙し騙し使っていかなければならない。
大切なことは、そのようにして騙し騙し言語を使った結果、騙されたとしても言語を恨まないことだ。ましてや、論理に責任転嫁するなどもってのほかだ。「理屈は信用できない。やっぱの感覚のほうが信用できる」と言ったところで、その感覚を言語化すれぱ、やはり同じように騙されるリスクに晒される。
おや、なんだか話が変な方向に逸れていってしまったようだ。また、途中でいくつかのポイントをすっとばしている*2ので、理解しづらかったり、議論に飛躍を感じたりする人のほうが多いかもしれない。
ごめん。
きちんと書こうとすると、どんどん長くなって収拾がつかなくなるんだ。察して下さい。

参考
Log of ROYGB - 一匹とすべてのあいだ

*1:実際に猫の不妊手術にどの程度の費用がかかるものかは知らない。ここでは適当な金額を選んだつもりだが、不適当だとしても驚きはしない。なお、「10,0000」という表記に違和感をおぼえる人は「100,000」と読み替えても差し支えない。

*2:たとえば帰納法における単純枚挙の方法など、なじみのない人のめにいちおう概略だけでも説明しておくべきだったかもしれない。