理屈では説明できないこと

「世の中には理屈では説明できないことがあるんだ」と言う人がいる。それはそうかもしれない。ただ、それを理屈で説明した試みは寡聞にして知らない。そして、「『世の中には理屈では説明できないことがある』という主張はことさら理屈で説明するまでもなく自明だ」という主張には与しない。きっと、そんな人は「理屈で説明できないこと」と「理屈で説明されていないこと」を混同しているのだろう。
ある事柄が理屈では説明されていないとしても、それはたまたま誰も説明を試みなかったからかもしれないし、試みたが難しくて頓挫したからかもしれない。いずれにせよ、理屈で説明できないという事態とは別物だ。
だが、途方もなく困難な事柄と、原理的に不可能な事柄は、人間の実際の活動においては区別する必要がないことなのかもしれない。人間は有限な存在者であり、その限界のもとでは、一定水準以上に困難な事柄は不可能な事柄と同一視できると考えられるから。もしこの考えが正しいとすれば、「世の中には理屈では説明できないことがある」という主張に理屈で説明がなされたことになるだろう。何か一つでも、途方もなく説明が困難な事柄を挙げさえすれば足りるのだから。
ただし、特定の話題について考察しているときに、「世の中には理屈では説明できないことがある」という一般論を無造作に適用して、その事例がまさに理屈では説明できない事柄であるかのようにみなすのは、非常に危険だ。それは単に知的怠慢であるだけではない。場合によっては、理屈以外の何かによって説明する(!)という愚行に道を開くことになりかねないからだ。