紛らわしい言葉は民主主義の敵だ

おお、凄い見出し*1だ。
でも、言いたい内容はさほど凄くはない。
人々の生活に関わる言葉、特に社会制度に関する用語があまり紛らわしいと、当該分野についての情報を入手するのが困難となる。一つひとつの事柄については、ちょっと調べればわかることかもしれないが、それが積もり重なると手間とコストも馬鹿にならない。結局「その筋の専門家」に問題を丸投げすることになり、民主主義が機能しなくなる、というわけだ。
もちろん、同様の問題は言葉の上のことだけでなく、言葉によって言い表される事柄についても言える。社会が複雑化するにつれて、社会問題も複雑化してゆき、素人には問題を把握することも理解することも意見を述べることも難しくなる。言葉のことだけ取り上げて、ことさら「民主主義の敵」などと言い立てるのはこけおどしに過ぎない。先ほど「言いたい内容はさほど凄くはない」と述べたのは、こういうことだ。
だが、社会の複雑化は如何ともしがたいが、言葉の紛らわしさは何とかできる場合もあるのではないか。そして、民主主義に多少とも延命の可能性があるとすれば、それには言葉を整理し、厳密さを損なわない程度に単純化して、紛れが少なくなるようにするという作業が必要不可欠だと思うのだ。
以下、「紛らわしい言葉」の例をひとつ挙げてみる*2

  1. 「高等学校」
  2. 「専門学校」
  3. 専修学校
  4. 高等専門学校
  5. 高等専修学校

ここに掲げた言葉はすべて現行の学校教育制度で用いられている*3ものだが、それぞれの用語の意味を他の用語と区別して説明できる人がどの程度いるだろうか? 案外、学校関係者の中にもわかっていない人がいるのではないだろうか?
インターネットの発達によって、言葉さえ知っていれば関連情報を入手するのが簡単になったのはいいことだ。でも、紛らわしい言葉が多いとインターネットの利便性もかなり目減りする。字面を見ただけで関連語との包含関係がわかるのが理想だが、高等専修学校専修学校の一種だが高等専門学校は専門学校の一種ではないこと、そして専門学校が専修学校の一種であることをそれぞれの言葉の字面から読み取るのはまず無理だろう。

*1:見出しはちょっと挑発的なほうが受けがいいので。でも、あまり調子に乗ってやりすぎると反発を招くので、本当に真面目に言いたいことがあれば、逆に地味な見出しをつけたほうがいいかもしれない。

*2:ただし、以下の例の場合は歴史的な経緯もあるので、直ちに言葉の整理を行うべきだとまでは主張しない。単なる例示と理解していただきたい。

*3:学校教育法第四章、第五章の二、第七章の二を参照のこと。