時間が足りない

先日買ってきた「涼宮ハヒルの憂鬱」をどうしようか1週間迷っていたのだが、やはりこの作品を十分に楽しむためには「涼宮ハルヒの憂鬱」を見なければならない*1という当然の結論に達した。
だがしかし。
「ハヒル」に出す金はあっても「ハルヒ」に出す金はないDVDをこれ以上買うとただでさえ狭いスペースがさらに圧迫されるので、「ハルヒ」のDVDを全巻持っている後輩に貸してもらうことにした。さっさと見て、年内には返したいのだが、さてちゃんと見ることができるかどうか。
年内には、日日日の未読本をあと4冊*2読んでしまいたいし、銚子電鉄に乗って濡れ煎餅を食べてみたいし、忘年会の予定がいくつか入っているし、コミケカタログのチェックをまだ全然やっていないし、知人のうちでいちばん忙しい人に会う仮約束を取り付けているので詳細を詰めないといけないし、やること*3がいっぱいある。
そんな時に限って、ネットで面白い話題を見つけて関心を持ってしまい、ますます時間が足りなくなってきた。
忘れないうちにメモ。


キャラがある一つのテクスト内での同一性を獲得し、さらにそのテクストから遊離しても同一性を保つプロセスについては伊藤剛が結構詳しく説明しているのだけれど(『テヅカ・イズ・デッド』P117-118)、そこで面白いのが「同一の固有名によるキャラの名指し」というものがそのプロセスに入っている点だ(図の中にちらっと書かれてるだけだが)。そこからクリプキや、やろうと思えば固定指示子=対象aだとかいうジジェクなんかに話を繋げることも多分出来るだろうね。
これは興味深い。『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』を読んでみたい。できれば『虚構世界の存在論』も再読したいし……ああ、絶望的なほどいっぱいいっぱいだ。
優先順位をつけなければならないが、そのための検討の時間も足りない。
とりあえず……「戦国ランス」を買いに行ってきます。

*1:アニメ版の話。小説版とマンガ版は既に読んである。もちろん黒歴史も。

*2:今月出る分をあわせると5冊になる。ああ。

*3:冷静に考えれば、今挙げたことのほとんどは、別にやってもやらなくても構わないことではあるのだが。