21世紀の『ポーの一族』?

大奥 (第1巻) (JETS COMICS (4301))

大奥 (第1巻) (JETS COMICS (4301))

大奥 (第2巻) (JETS COMICS (4302))

大奥 (第2巻) (JETS COMICS (4302))


 「ガキくさい」だの「長いだけで中身がない」だのいろいろとケチをつけて、かれの文章を忌避する書痴系の人間はけっこういる。実際ガキくさかったり長いだけで中身がスカスカだったりすることも多いから、その気持ちはわからなくもない。
 ただ、一応言っておくと、たぶんきみたちもわかって言っているんだろうけどひょっとしたら中には気づいていない天然野郎もいるかもしれないから念のために言っておくと、きみたちはかれの文章の対象読者ではない。いや、対象読者ではないというとさすがに言いすぎかもしれないが、すくなくとも主要読者ではない。
 かれ自身がどう思っているかは知らないが、かれの文章を真に楽しめるのは非書痴系の人間、あるいは書痴予備軍の人間なのである。
 過剰なまでにほめちぎることでその作品自体に興味をもたせ、過剰なまでに関連作品を羅列することでその作品以外の作品にも興味をもたせ、そして過剰なまでに長く書くことで読んでいる人間を圧倒する。圧倒された人間は、「なんだかよくわからんけどとにかくすごい小説のようだ。よし、読んでみよう」という気分になる。たぶんなる。というか昔のぼくは、書痴予備軍の人間だったころのぼくはそうなった。
 でも書痴系の人間はそうはならないだろう。すくなくとも今のぼくはならない。
 つまり、かれの文章は書痴系の人間を唸らせるためにあるのではなく、非書痴系の人間を書痴化させるために存在しているのである。本を読む人間をなんとかして増やしたい、かれはそういう気持ちでいつも書評を書いている……わけではないのかもしれないが、かれの文章に刺激されて小説を読みはじめたり、それまでスルーしていたジャンルの小説に手を伸ばしはじめた人間は相当数いるのではないかと思われる。
のっけから長文の引用で恐縮だが、実に見事にかれの文章*1の特質をよく表していると思うので紹介してみた。
さて、自分が書痴系の人間なのかそれとも非書痴系の人間なのかといったことはあまりよくはわからないのだが、かれの文章に煽られて小説を読もうと思った経験はほとんどない。別のきっかけで小説を読んでから、そういえばこの小説の感想文をいつだったか見かけたことがあったな、と思い記憶を辿ってみるとかれの文章を思い出したということが何度かある程度だ。しかし、かれの文章がきっかけでマンガを読んだことはしばしばある。『大奥』もその一例だ。

 たとえば萩尾望都が〈ポーの一族〉を描きはじめたとき、その時代の読者は作品の真価に気付いただろうか。
 それがたんにひとつの優れた作品というにとどまらず、永遠に漫画史に記憶されるべき奇跡なのだと、気付いていたのだろうか。
 よしながふみの最新作〈大奥〉を読むとき、ぼくが感じるのもその種の感慨だ。目の前で歴史が形づくられていくことの、えもいわれぬ感動。
 おそらくこの作品は2000年代の漫画界にとってある種の記念碑となることだろう。そういった作品をリアルタイムで読みすすめられることに感謝したい。
この煽りには「見たな。ならば読ませるまでだ!」という気迫が感じられる。細かいことをいえば、「漫画史に記憶される」という言い回しは不自然で「漫画史に刻み込まれる」とか「漫画読者に記憶される」というふうに書くほうが自然なように思われるし、「気付いただろうか」「気付いていたのだろうか」という問いかけを受ける「気付いていたはずだ」を省略していきなり「その種の感慨」と飛躍してしまっていることが気になるのだが、ともあれ熱気は十分に伝わってくる。
そこで『大奥』を買ってきて読んでみたのだが、なるほどこれは面白い。『ポーの一族』と並ぶような歴史的傑作かどうかの判断は留保しておきたいが、読んで損はないし、読めば他人に薦めたくなるようなマンガであることは確かだ。
さまざまな面白さが詰め込まれているので、そのうちの1つか2つを抜き出して紹介するのはバランスを欠くし、かれの文章以外にもあちこちで紹介され、高く評価されている話題作なので、今さら屋上屋を架す必要もないとは思うのだが、そうはいってもこれでおしまいにしてしまったら、本題とは直接関係のい引用文のほうが地の文よりも長いということになってしまうので、個人的に特に興味深く感じられた点を1つだけ書き記しておこう。
(以下、『大奥』の内容に触れます。ご注意ください)
それは、仮想歴史と歴史捏造という2つの趣向を盛り込んでいるということだ。
1巻では主に仮想歴史が扱われている。現実世界の歴史的事実とは異なる歴史をもつ世界を舞台に、その世界に生きる人々の暮らしや社会制度を描写していくというシミュレーションだ。それは「男女逆転」という一言では言い表せない複雑なもので、たとえば『大奥』の世界でも力士は男性だということになっている。そこで、現実の歴史と仮想歴史の性的対称性の破れ目がどこにあるのかに興味を惹かれて読み進めていったわけだが、そのうちにこのマンガが単なる仮想歴史ものではないことが徐々に明らかにされていった。仮想歴史というテーマに加えて歴史捏造*2というテーマがあることがはっきりと示されるのは1巻の終わりで、そこで読者の認識を一挙にひっくり返す手筋の鮮やかさに驚嘆し、読む手が止まらず2巻へと突入していった。
いやはや驚きました。
しかし、このマンガはかなり長期連載になりそうな雰囲気だが、3巻以降で上記の驚きを超えるものを見せてくれるのかどうかは疑問だ。そのようなものが全くなくて単なる手続きとしてストーリーを紡ぐだけでも、それなりに面白く読めるだろうが、惰性で読み続けることに若干のやましさをおぼえるのも事実だ。
まあ、今から心配しても仕方がないけれど。

*1:「彼」ではなく、ひらがなの「かれ」というのがミソだ。

*2:「捏造」という言葉にはネガティヴな含みがあり、よりニュートラルな「改変」を用いたほうがいいのではないかとも思ったのだが、「歴史改変」では「仮想歴史」とのコントラストがはっきりしないので、ニュアンスに若干不満があるものの「歴史捏造」を採用することにした。