言語の意味と発話の意味

「私」や「I」など一人称代名詞を主語とする文の分析を行うときには注意が必要だ。文中にその文の使用者が組み込まれているために、文そのものがもつ意味を分析しているつもりが、知らず知らずのうちにその文を使用する人が文にこめた意味、さらには、その人が文を使用する意図までをも忖度して、例文に読み込んでしまうことになりかねないからだ。


私はこれがペンであることを信じる。”I believe that”が加わることによって、”This is a pen.”という一点の曇りなき明証的な知覚=事実に暗雲が垂れ籠めてしまう。”I believe that”は余計であるだけでなく、さらに”I don’t believe”を喚起する。私はbelieveとdon’t believeという可能性からbelieveを選択した。【略】論理的或いは実証的に、つまり合理的な根拠をもって私がこれはペンであると判断する場合、I beieveというだろうか。【略】対象が明証的に私に現前しているとき、合理的な根拠をもって判断しているとき、believeという動詞を使う必要はない。それどころか、believeを使うことによって、私の判断の根拠のなさ或いはその薄弱さが露呈されてしまいかねないのだ。
”This is a pen.”の前に”I believe that”のかわりに”She believes that”を付け加えるとどうなるか。または、文脈依存度の高い代名詞のかわりに固有名詞を付け加えてみるのはどうか。たとえば、”Herbert Paul Grice believes that this is a pen.”という例文で、動詞believeの振る舞いはどのようなものか。上の引用文の「私」を「彼女」または「グライス」に置き換えても成り立つかどうか、ということを考えてみてもいいかもしれない。