こうして人はミステリから離れてゆく

夏の魔法

夏の魔法

以前、葉山響氏と『ボトルネック』の話をしていたときに、話題にあがったのが『夏の魔法』だった。「『ボトルネック』よりもダウナーで、ラストシーンがエグい」と聞いた記憶がある。それと「どうみてもアンハッピーエンドなのに、女性はなぜかハッピーエンドだと思うらしい」とも聞いた*1
その時に作者名も聞いていたはずなのだが、すっかり忘れてしまった。で、現物を目にして、ちょっと意外に思った。
本岡類。ある程度ミステリを読み込んでいる人なら、まず知らないはずはない作家だ。でも、「代表作は?」と訊かれると答えるのが難しい。かつて浴びるほどミステリを読んでいた頃に何冊か読んでいるはずなのだが、タイトルもストーリーも全く記憶に残っていないので。ああ、としをとったものだ。唯一、『猫派犬派殺人事件』というタイトルだけは印象に残っているのだが、これは間違いなく読んでいないはず。というわけで、この作家の過去の作品については何も語ることはできない。
で、『夏の魔法』だ。
元銀行員で、今は那須高原で細々と牧場を経営している主人公のもとに、離婚した妻のもとにのこしてきた息子が15年ぶりに尋ねてくる。息子は19歳だが、高校時代にあるきっかけでひきこもり状態になり、その後進学も就職もせずに暮らしていた。そんな、とことんダメな息子を甦らせる「魔法」が牧場にあるやなしや……というお話。
あれ? ミステリじゃない??
奥付の「著者紹介」をみると、

【略】などミステリーの著作多数。だが、50歳を越えてミステリーから離れることを決意。本書は新しい世界への挑戦を果たす新生の一作である。
と書かれている。何となく一人合点していたが、思い起こせば葉山氏も『夏の魔法』がミステリだとは言っていなかった。それに、『ボトルネック』も多少ミステリっぽい要素も含まれるけれど、作品全体をみればミステリというジャンルにおさまる小説ではなかったのだから、別に何もおかしくはないのだ。
『夏の魔法』は三人称小説で、概ね主人公の視点から描かれ、たまに息子の視点も混じる。そこが『ボトルネック』とは違うところだが、行き詰まってへたれてしまったダメな若者の物語という点では共通している。本岡類と米澤穂信とは親と子くらい年齢が離れていて、その分、「ダメな若者」の描き方が違っているのが面白い。さて、老練な作家はいかにしてダメ人間を追いつめていくのか? わくわく、どきどき。
そんなことを考えながら読み進めていったのだが、半分くらい読み進めて、どうもおかしいことに気がついた。あれれ、これってまっとうな成長物語じゃありませんか。
絵に描いたような中二病の青年にとっては辛い出来事もいくつか起こるのだが、傷口に塩を擦り込むようなことはない。希望を持たせておいて、最後の破局に向けてじわじわと伏線を張っているのかも、といちおう身構えてはみたものの、結局最後までそんな意地の悪い展開にはならなかった。むしろ、後味が非常によくて爽快だった。ああ、いい小説を読んだ。
現実の厳しさを描きつつも、ダメ人間更正のきっかけとなるエピソードも多く鏤められていて、全体としては大人のためのメルヘンという印象を受けた。嗜虐的で偏執的などきつい小説を読み慣れた人には、かえって新鮮かもしれない。
難しい理屈をこね回すこともなく、素直に楽しめた。面白い小説だ。『夏の魔法』のような小説を読んで面白いと思えるようになった反面、ミステリを読んでもあまり面白く観じられなくなりつつあるので、少し寂しくも感じるのだが……。まあ、人の趣味嗜好は変わって当然だ、気にしない気にしない。
だがしかし。なんで葉山氏が『夏の魔法 (ミステリ・フロンティア)』を薦めたのか、その理由だけが未だにわからない。謎だ。と日記には書いておくことにしよう。

*1:ただし、メモをとりながら聞いたわけではないので、葉山氏のコメントそのままというわけではない。ニュアンスの取り違えがあるかもしれないし、もっと大きな記憶違いの可能性も否定できない。