生きるのがつらくなるきんつばの話

1

なぜかは知らないが、急にきんつばが食べたくなった。
きんつばといえば和菓子だ。洋菓子ではない。もしかしたら酔狂な洋菓子屋で売っているかもしれないが、期待できることではない。そこで、近所の和菓子屋へ行ってみることにした。
和菓子屋にはめったに行くことがない。贈り物を買うために過去に2回ほど立ち寄ったことがあるが、自分が食べる菓子を買うために和菓子屋に入るのはこれが初めてだ。どうも落ち着かない。だが、きんつばのためだ。多少の精神の不安定は甘受しなければ。
ところが、店内を見回してもきんつばが見あたらない。どういうことだ。ここはもしかして和菓子屋とは異なる、何か別の店だったのか。だが、饅頭や羊羹、最中はあるじゃないか。
そこで、店員に尋ねたところ、「当店ではきんつばは扱っていません」とにべもなく返された。何ということだ! ところで、「にべ」って何だろう?
がっかりした。少し生きるのがつらくなった。

2

憔悴しきって家に帰る途中で、こんなことを考えた。なるほど、きんつばがなかったのは残念なことだ。しかし、最悪ではない。たとえば、店員の返事が次のようなものだったとすれば、どう反応すればいいだろう?
「当店には2種類のきんつばがございます。『美少女のきんつば』と『美少年のきんつば』です。どちらになさいますか?」
「美少女のきんつば」と「美少年のきんつば」。おお、考えるだけで、何か背筋を得体の知れないものが這い上ってくるような心地がするではないか。ちなみに、今文章を書いているこのパソコンでは「這」のしんにょうは点2つに見えます。あなたの環境ではいかがでしょう?
きんつばに巡り会えなかったということは、つまり、「美少女のきんつば」とも「美少年のきんつば」とも遭遇しなかったということだ。人間、平穏無事なのがいちばんだ。

3

家に帰って冷蔵庫を開けると昨日買ってきたパック入りの納豆が入っていたので、それにたれとからしをかけて、よく練ってから食べた。すると、きんつばを食べたいという欲求がおさまった。不思議なことだ。
よく考えてみよう。きんつばの中には餡がある。餡は小豆から作られる。一方、納豆は大豆製品だ。大豆と小豆。そう、昔から「大は小を兼ねる」というではないか。
疑問はいとも簡単に氷解した。なんだ、簡単なことじゃないか。

4

ここでひとつ告白しなければならない。
和菓子屋へきんつばを買いに行ったが置いていなかったこと、「美少女きんつば」と「美少年きんつば」の想像、そして納豆を食してきんつばへの欲求が解消したこと、これらはすべて実話だ。確かに実話ではあるのだが、納豆の件だけは少し注意が必要だ。というのは、「大は小を兼ねる」というフレーズを思いついたのは、家に帰る前のことだからだ。
そのまま日記に書いてしまったのでは嘘になる。それを防ぐためには納豆を食べるしかない。そこで、家に帰って納豆を食すことにした次第。
誰に強制されたわけでもない。自発的行動に違いない。しかし、何か呪縛のようなものを感じる。そう考えると、かなり生きるのがつらくなってきた。