田舎のバス

最近読んだある小説に、こんな場面があった。主人公の青年がある事情から田舎にある親戚の家を訪問することになり、ローカル電車の終点から1日10本しかないバスに乗り、運賃を払って40分揺られ、ようやく親戚の家のある村にたどり着く、という場面だ。
これを読んで少し不思議に思ったことがある。それは、バス運賃を前払いするという点だ。後払いのほうがふつうではないだろうか?
たとえば、東京都バスなどは運賃前払いだが、それは均一運賃制を採用しているからだ。乗車距離や区間によって運賃が決まる場合は、乗るバス停で整理券を取り*1、降りるバス停で精算払いするというシステムが一般的だと思うのだが……。
もちろん、田舎にも均一運賃制のバスがないわけではない。自治体などが運営するコミュニティバスの場合、運賃収入で経営しているわけではないので、定額に設定されていることが多い。それなら前払いでも支障はない。だが、必ず前払いでないといけないということもないので、昔からその一帯を走っていたバスが運賃後払いの場合、新たに導入されたコミュニティバスも後払いにしている例が多いように思う*2
おそらく、件の小説の作者は都会住まいで、「バスの運賃は前払いが当たり前」という固定観念をもって、その場面を書いたのだろう。「鉄道を走るのはすべて電車」という固定観念*3に基づく不自然な記述はよく見かけるが、それと同じことなのだろう。
異世界を舞台にしたファンタジーで度量衡の単位がメートル法だったりするようなおかしさとはすこしレベルが違うのだが、いかにも小説に出てくるようなステレオタイプな田舎の描写の中で、バス運賃の前払いが妙に浮いているように感じた。

おまけ

こんな記事を見かけた。

上の話題とは直接関係ないが、何となく結びつけて考察できそうな気もする。

*1:始発バス停では整理券はを発行しないこともある。

*2:ただし、全国各地の事例を調べたわけではないので、例外もあるかもしれない。

*3:当然のことだが、電車は電化区間しか走っていない。