エレベーターの不安

不安というのは、読んで字のごとく、安らかではないということだ。物事がきっちりと確定しているのでなく、余分なものが足りないものがあるとき、または先の見通しがつかずこれからどうなるのかがわからないとき、人は不安に陥る。
しかし、少し逆説めくが、不安な心の状態というのは結構安定しているのではないか。
たとえば、エレベーターに乗ったときに感じる不安について考えてみよう。あの、狭い閉鎖空間に閉じこめられたとき、人はしばしば不安に襲われる*1が、その内容は概ね次のふたつに限られる。

  1. このままドアが開かなくなって、宙ぶらりんのままだったらどうしよう。
  2. 箱を吊っているワイヤーが切れて、地の底めがけて墜落したらどうしよう。

これだけだ。
「この箱がいきなり横滑りしたらどうしよう」とか「間違えて隣町のエレベーターに乗ってしまっていたらどうしよう」とか「エレベーターに乗る前に戻ってしまったらどうしよう」とか「ドアが開いたときに目の前に『家畜人ヤプー』の初版本があったらどうしよう」とか、そのような不安に襲われて、目の前が真っ暗になったり、頭がくらくらして呼吸が弾んだり、心臓のあたりが苦しくなったりする人は皆無だ。
人は絶望的なまでに型にはまっており、不安のパターンまでもが類型化されている。
うんざりする。これが現実というものか。

*1:生まれてこの方、エレベーターに乗って不安な気持ちになったことがないという奇特な人もいるかもしれない。だが、別に悲観することはない。一生不安を感じないままだと決まったわけではないのだから。次にエレベーターに乗るとき、それが駄目でも次の次に乗るときには、首尾よく不安感を得ることができるかもしれない。希望を捨ててはいけない。