猫の毛、猫の毛、鳥の肌

「鳥肌が立つ」という言葉は第一義的には身体の状態を指すが、転じてある種の心理状態をも表す。典型例は恐怖と不快感だ。最近は、恐怖とも不快感とも無縁な純粋な感動の場合にも「鳥肌が立つ」と言う人がいて、「誤用だ」「いや誤用ではない」と議論になることもある。
ところで、似たような表現に「身の毛がよだつ」というものがある。「が」のかわりに「も」を使うこともある。「よだつ」という動詞に漢字をあてると「弥立つ」となるらしい。現在ではこの慣用句くらいにしか使わないが、「立つ」「逆立つ」の類義語と見ていいだろう。
この「身の毛が(も)よだつ」も第一義的には身体の状態を指す言葉だ。鳥肌が立つとき、その肌に生えている体毛もまた立つから、「鳥肌が立つ」と「身の毛もよだつ」ことになる。そして、これもまた転じて心理状態を表すことがある。いや、むしろそちらの用例のほうが多い。
ところが、不思議なことに、恐怖や不快感とは無縁な純粋な感動の場合に「身の毛がよだつ」を使う人はいない。当然、誤用かどうかの論争も起きてはいない。これはどうしたことなのか。鳥肌だけが責められるのはかわいそうではないか。