情報過多の時代

 得るものがあれば、失うものがある。文化が豊かになり、たくさんの機会が保障されればされるほど、一期一会の奇跡に対する感動は薄らいでいく。

 誤解してほしくないのだが、ぼくはそれが悪いことだとは思わない。好ましいことには違いないのだ。

もし現在の文化状況が、一期一会の奇蹟*1に対する感動を薄らがせる*2ほどだとすれば、それはもう好ましいものではない。そんな文化を「豊か」だと形容するのも虚しいことだ。
とはいえ、情報の氾濫は個人にはどうしようもない。また、仮に情報をどうにかして規制できる強権をもった独裁者が現れたら、相当悲惨なことになるだろう。具体的にどういう状況になるのかは見当がつかないが、少なくとも、オタク疲れ以上の問題が発生することは間違いない。
現状に不満で、改善案もない。「昔はよかった」と言っても始まらない。自衛策にも限界がある。深く考えると息が詰まりそうだ。

*1:上では原文のとおり「奇跡」と表記したが、地の文では「奇蹟」と表記することにしている。これは純粋に用字法についての好みの問題であり、この文章の趣旨とは全く何の関係もない。

*2:変な言い回しだ。もうちょっとましな言い方がないものか。