異世界と外来語

精霊の守り人』は見ていないので、このアニメにおいて外来語の使用の是非について論じることはできないのだが、一般論としてはやはり異世界ファンタジーでは外来語を使うのは変だと思う。というか、意識しているにせよいないにせよ、異世界ファンタジーに外来語はそぐわないものだという共通了解があるからこそ、あえてそれを使って異化効果を出すという技が成立するのだろう。

 だとすれば、そもそも日本語で台詞していることじたい不自然だ。それは視聴者のことを考えて日本語に翻訳されているだけであり、バルサたちは本当は聞き慣れぬ異世界の言語をしゃべっているのだ、と考えることも出来るだろう。

しかし、そうだとすれば、その会話に外来語が混ざってはいけない理由があるだろうか。

そもそも日本語ではない言葉を翻訳するとき、古来から日本にある言葉でなければならない、と考えるなら、結局はその世界が異世界であることを認めていないことになるように思う。

この3つの段落では、おそらく『精霊の守り人』を例に挙げながら一般論として異世界ファンタジーで外来語を使ってもよいという主張を擁護する議論を展開しているのだと思われるが、論旨は不明確でよくわからない。だが、とりあえず次の3点を指摘しておこう。

  1. 異世界の言語を日本語に翻訳する際に外来語が混じっていてはいけないという理由はないということ
  2. にもかかわらず異世界ファンタジーで外来語が忌避される傾向があるのは、外来語の導入により翻訳レベルではないところで問題が生じる*1からだということ
  3. 仮に異世界ファンタジーで外来語を忌避する考えをとることが、その世界を異世界だと認めていないということなのだとしても*2、それはそれでフィクションの受容のあり方のひとつに過ぎないということ

3点目は「異世界ファンタジーが扱う『異世界』とは、本当に我々が住むこの世界とは別に存在する世界のことなのか、それとも異世界ファンタジーは端的に虚構なのであって本当は異世界などどこにも存在しないのか」という問題にも通じるのだが、虚構の存在論まで踏み込んでしまうと泥沼に陥ってしまうのでやめておこう。

追記

異世界ファンタジーでは外来語だけでなく、日本古来の言葉が問題となることもある。以前、『ミミズクと夜の王』の感想文で指摘したことがある。また、過度に問題を強調しすぎることのジレンマについてはNaokiTakahashiの日記 - ファンタジーと故事成語を参照のこと。

*1:詳しく説明する余裕はないが、大雑把にいえば、語られている異世界の雰囲気が壊れる恐れがあるということだ。これは翻訳の適切さとは全く別レベルの問題だ。

*2:本当にそう言えるのかどうかについては判断を留保したい。