全存在的なオタク

オタクってのは今や消費スタイルのひとつに過ぎないわけで、全てのオタクが人生のリソースを全部オタ趣味にささげた全存在的なオタクだと考えるのは、非現実的なんじゃないかなあと。

【略】

オタク作品で政治的に「決断」しちゃったり、オタク文化に逃避して現実生活を見失ったりするほどオタク文化に思いいれちゃう人なんて、むしろ作り手や評論家の側にしかいないんじゃないかなあ、とか。オタク文化に限らず、文学でも映画でも俺はそう思うけど。

ええと、最近この話題どこかで見かけた。うん、定期巡回しているニュースサイトのどれかで捕捉されていた何日か前の記事だったはず。見出しが挑発的だったので読んでみたけど読み終えてみるとさほどのことはなかったという印象をもった。ああ、どこだったか思い出せない。もどかしい。
……というようなことがあった。
特定のサイトや記事にリンクして批判的なコメントをつけると、いろいろとさしさわりがあることもあるので、ぼかして言及したいと思うことは当然あるわけで、実際、「一本足の蛸」でも過去に何度となくそういうことをやっているのだが、自分のことを棚に上げていうなら、せっかくハイパーリンクという機能が備わっているのだから読み手の情報収集の負担を少しでも減らすためにそれを有効活用してもらいたいと思う。
それはそうとして、オタク文化に逃避して現実生活を見失う人は、作り手側ではない人の間にも相当数いるのでないかという気がする。というのは、同人誌即売会場でそんな感じの人々をよく見かけるからだ。
もしかすると、彼らがオタク文化に浸っているのはその場限りのことで、やはり帰るべき「現実の生活」があるのかもしれないし、実は、純然たる消費者ではなく作り手側の人々なのかもしれない。そう考えるとかなり根拠薄弱な意見なのだが……。
できれば、社会学か何かのテーマとして全存在的なオタクを取り上げて、統計的に研究*1してもらいたい。もう誰かやっていてもおかしくはないが、実物を見たことがない。

*1:個別事例の研究がいけないというわけではないが、一部の特殊事例を普遍化すると世の中の動向を見誤るおそれがあるので、やはり数量データがほしい。