ラノベ界のウィトゲンシュタイン

ウパ日記 - ライトノベルの定義を読んで、「おおっ、これはウィトゲンシュタインだ!」と思った。より正確にいえば、『名指しと必然性―様相の形而上学と心身問題』においてクリプキウィトゲンシュタインに帰した理論*1に非常によく似ている。いま手許に本がないので、どこが似ていてどこが違っているのか具体的に説明はできないのだが、興味がある人はぜひ『名指しと必然性』を参照してもらいたい。
さて、ウーパー氏の見解で興味深いのは次の点だ。

  1. ライトノベルポイント(LP)の付値の対象になるのがレーベル・作家・イラストレーターで、追加効果としてコミック化・アニメ化・ブームなどが挙げられているが、当該作品の内容そのものは付値対象になっていない。
  2. LPが高ければライトノベルで低ければライトノベルではないが、ライトノベルであるかどうかを厳密に線引きするポイント数はない。
  3. 付値を行うのは各読者であって、人によって付値の基準が異なる。

1は、ライトノベルが文芸上の「ジャンル」ではないことをよく表している。たとえばミステリポイント(MP)というものを想定するなら、謎やトリック、ロジックなど作品の内容に含まれる要素に付値するのが自然だ。しかしLPはMPとは違って、作品を取り巻く環境にのみ付値される。ある作品がライトノベルであるかどうかは、その作品の内容にではなく、その作品が置かれている文脈に依存するということだ。もちろん、それぞれの作品の内容に「ラノベらしさ」のようなものがないわけではない。ウーパー氏は明言していないが、たぶん内容面での「ラノベらしさ」は作家やレーベルなどのLPの設定に反映されるのだろう。たとえば、2000年頃までの講談社ノベルスはLPが0だったのが、徐々にポイントが上がって、今では2くらいになっている、とか。
2は、線引き問題に対する否定的解答といえる。ライトノベルとそうでないものとの間には厳密な境界線がないのに、あたかもそのようなものがあるかのように一刀両断に諸作品を切り分ける「定義」は全部間違っているに違いない。LPはライトノベルとそうでないものの間に線を引くのではなくて、それぞれの作品の濃度の違いを明らかにする。この発想は直観的にも受け入れやすい。
3は、人によって何がライトノベルであって何がそうでないのかについての意見が食い違うという事実を説明するものになっている。意見が食い違うのはLPの設定基準が違うからだ、というのは非常に明快だ。
こうやって検討してみると、ウーパー説は細かいところまでよく考えられた、洗練された理論であることがわかる。ライトノベルジャンル小説の違い、ライトノベルの境界の曖昧性、ライトノベルについての意見の不一致、などをすべて説明しているのだから。これを超える理論を提示するのはなかなか難しいのではないか。
ただし、個人的な意見としては、LPの付値基準を個人の価値観に求めるのには賛成できない。
ライトノベル」という言葉を用いて、我々が「自分の中にある基準を満たした物」について語っているのだとすれば、この言葉を用いた意思疎通が全く不可能となってしまうだろう。だが、実際には、ときどき意見にずれが生じることがあるにしても、たいていの場合は「ライトノベル」という言葉は意思疎通のためにちゃんと使える。このことは、LPの基準が個人の内心にあるのではなく、ある程度のゆらぎを伴いつつも他人と共有されているということを示しているのではないだろうか?
ライトノベルポイント」という道具立ては秀逸だが、個人の価値観がそれを決めると考える点では、ウーパー説は2ちゃんねるの「ライトノベルの定義」の発展形のひとつだとも言える。それに対しては、

しかし、ライトノベルの定義の話が出ると良く思うのだけど、どの作品がライトノベルで、どの作品が境界に属するのかは、わりと広くコンセンサスは取れているのに、なんでこんなにネタになるんだろう、という方が疑問だったり。よく見かける“あなたがそうだと思うものがライトノベルです。ただし、他人の同意を得られるとは限りません”という文言が問題なんじゃないかしらん? そこまで、定義があやふやなわけでもないだろうに。

というコメント*2に全く同感。

*1:たぶんウィトゲンシュタインが考えていたこととは違っている。なお、ウィトゲンシュタインを引き合いに出した箇所で話題になっているのは「モーゼ」のような固有名であり、「ライトノベル」のような一般名ではない。

*2:もちろん、これはウーパー氏の考えそのものに対して疑念を表明したものではなくて、たまたま続けて読んで都合がいいと思ったので並べて紹介してみただけだ。