異世界のイメージ

人は異世界について何も知ることはできない。なぜなら、現実世界と異世界は完全に隔絶されていて、一切の情報の行き来がないからだ。異世界で何が起こっていようとも、その影響は現実世界には及ばないのだ。
では、人はいかにして異世界をイメージすることができるのだろうか? 何も知ることができない世界については何も想像できないのではないか。まさしくその通り。「異世界のイメージ」というのは、実は異世界のイメージなのではなくて、現実世界について知っている事柄をつぎはぎした架空の光景に過ぎない。
とはいえ、現実世界について知っている事柄をつぎはぎすれば、いつでもそれが「異世界のイメージ」になるわけではない。たとえば、今目の前にある黒豆黒茶がわさびらむねに置き換わった光景をイメージしてみても、誰もそれを「異世界のイメージ」とは呼ばないだろう。
思うに、「異世界のイメージ」とは異文化に触れたときの驚きをもとに組み立てられた架空の光景のことだ。自分がよく馴染んでいる制度、習慣、文物、風景……etc.とは異なるものに触れて、そのずれにショックを受けた経験が蓄積していくうちに、徐々に「異世界のイメージ」を構成する素地が整っていくのだ。
逆にいえば、異文化に無頓着な人は、「異世界のイメージ」を十分に得ることができない。いま自分が持っている価値観やものの見方がいつでもどこでも普遍的に妥当すると思いこんでいる人が、仮に一所懸命に「異世界のイメージ」をひねり出そうとしても、現実べったりの俗っぽいものしか得られないだろう。