そこのコンビニで……

上のリンク先*1のコメント欄を見ると、「そこのコンビニでおでんが売っている」という文におかしさを感じた人が多いようだ。
でも別にこれは間違いではないと思う。
「そこのコンビニで」というのはこの文で語っている事柄の舞台を提示している。「そこのコンビニ」というでの出来事だということを「で」で表しているわけだ。
次の「おでんが」というのは、何が話題になっているのかを表している。「おでん」という主題について語っているということを「が」で示している。
で、最後にこの文の主題であるおでんの状態を「売っている」で表している。
もし、この文に疑問を感じるとすれば「おでんが」を行為の主体だと誤解しているからだろう。なるほど、コンビニに行ってみたら店員のかわりにおでんレジにいて商品を売っていたらびっくりする*2。しかし、日本語の「が」は必ずしも主体を表すとは限らない。
もちろん「そこのコンビニでメイド服姿の店員が売っている」なら「メイド服姿の店員」販売行為の主体だ。そういえば以前、日本橋オタロードファミリーマートにメイド服を着た店員がいたそうだ。残念ながら、すぐに本社からの指示があったらしく、日本初*3のメイドコンビニは中止になってしまい、今はふつうの制服を着た店員売っている。
「店員売っている」の「店員」は販売行為の主体で、「おでん売っている」の「おでん」は販売行為の客体(対象)だから、ある意味では正反対だけど、どちらもそれぞれの文の主題という点では共通している。
「今日は皿うどん食べたい」とか「千円あればちゃんぽん食える」なども同様で、それぞれ「が」の直前にある語がその文の主題であることを示している。
何も問題ないですよね? 昔から日本語によくある構文なんだから。

*1:下のリンク先は今回の話とは関係ないが、面白かったのでリンクしてみた。

*2:というかそんな光景はちょっと想像できない。いったい、おでんがどういう状態で鎮座していたら何かを「売っている」状態だということになるのだろう?

*3:だと思う。