定義と判断基準

 ところで、ここで秋山の個人的なライトノベルの定義を述べておきたいと思います。

 一言で済みます、著者がどう思っているか、です。具体的にはライトノベルレーベルで出すことを、著者は自作をライトノベルとして書いた、という風に判断しています。したがって秋山個人の定義によってふるいにかけると有川浩図書館戦争』はもちろん西尾維新刀語』もライトノベルには含まれません。

引用文中「著者がどう思っているか」という箇所は、原文ではスタイルシートで太字にしている。しかし、前後の文脈から察するに、この箇所を太字で表すという見た目の上での調整に意味があるのではなくて、たぶん秋山氏はこの箇所を強調しようと思っていたのだろう。そこで、引用に際しては原文を見かけの上で忠実に再現することにこだわらず、当該箇所をSTRONGタグで強調することにした。異論のある人はこの文章のソースを適宜テキストエディタ等で操作し、ファイル名をつけて保存の上、閲覧されたい。
さて、本題に入る。
上で引用した文章は、まず「ライトノベルの定義」を提示し、次に、その定義の具体化を試み、最後に個別例を定義に照らしてライトノベルかどうかを判断するという流れになっている。その第一段階で行われている「ライトノベルの定義」は、「著者がどう思っているか」という簡潔な文言で表されており定義の呈をなしていない*1が、常識的に考えれば「ある作品がライトノベルであるのは、その作品の著者がその作品をライトノベルだと思っている場合であり、かつ、その場合に限る」ということだろう。もちろん、非常識な考え方*2では別の定式化も可能だ。たとえば、

  • ある作品がライトノベルであるのは、その作品の著者がその作品をライトノベルではないと思っている場合であり、かつ、その場合に限る。
  • ある作品がライトノベルであるのは、その作品の著者がその作品のひとつ前に書いた作品をライトノベルだと思っている場合であり、かつ、その場合に限る。
  • ある作品がライトノベルであるのは、その作品の著者が自分はラノベ界に居場所があると思っている場合であり、かつ、その場合に限る。
  • ある作品がライトノベルであるのは、その作品の著者がその作品をライトノベルだと思っている場合であり、かつ、その場合に限らない。
  • ある作品がライトノベルであるのは、『人狼城の恐怖』の著者がその作品を本格推理小説だと思っている場合であり、かつ、その場合に限る。
  • ある作品がライトノベルであるのは、『神は沈黙せず』の著者がその作品をSFだと思っている場合であり、かつ、その場合に限る。

など。ただし、このような可能性は論理的には可能であり頭ごなしに否定してしまうのは科学的な態度ではないといくら非難されようともいちいちつきあっていられない*3ので、そこまで言うなら別に科学的じゃなくてもいいもんね、と開き直って、完全に黙殺することにする。
さて、問題は第二段階だ。「具体的には」という語句に続いて述べられているのは、どう考えてもその前の文の内容*4を具体化したものではなく、何か別のことを言っている。具体的には、著者がどう思っているかということについての判断基準を述べている。「ある作品の著者がその作品をライトノベルだと思っているというふうに判断するのは、その作品がライトノベルレーベルから出ている場合である」というふうにパラフレーズできる*5。「ある作品の著者がその作品をライトノベルだと思っているというふうに判断するのは、その作品がライトノベルレーベルから出ている場合に限る」と主張をそこに読み込むべきかどうか少し迷うのだが、第三段階で例示された『図書館戦争』や『刀語』がライトノベルレーベルから出ていないということを理由にそれらをライトノベルには含まれないと結論づけていることから、秋山氏は「ある作品の著者がその作品をライトノベルだと思っているというふうに判断するのは、その作品がライトノベルレーベルから出ている場合に限る」という主張にコミットしているものといちおう解釈できる。すると、秋山氏の判断基準は「ある作品の著者がその作品をライトノベルだと思っているというふうに判断するのは、その作品がライトノベルレーベルから出ている場合であり、かつ、その場合に限る」ということになるだろう。
ただ、このようにパラフレーズしてしまうと、この判断基準はほとんど定義と変わらないほどに強いものになってしまう。ある作品がライトノベルレーベルから出ているという事実が、その作品の著者がその作品をライトノベルだと思っているという事実を構成する、または、そのように擬制する*6というふうに果たして秋山氏は考えているのだろうか。それとも、ある作品がライトノベルレーベルから出ているという事実は、他のより強い根拠によって覆されない限りにおいて、その作品の著者がその作品をライトノベルだと思っているという事実の証拠となる*7ということなのだろうか。もし後者だとすれば、上のパラフレーズは誤りだということになるだろう。
どちらであるのかを判定する決め手はない。だが、前者だとすれば、冒頭の引用文で秋山氏が述べていることはある意味で冗長だということになる*8ので、そのような冗長さは秋山氏が意図したことではないとすれば、前者の解釈は誤りであり、上のパラフレーズも誤りだということになるように思われる。
この議論は非常に回りくどく書いているので、ある意味で冗長だ。また、この冗長さは意図したものだ。でも、深遠でもなければ神秘的でもないので、多少時間と心に余裕があってものの道理のわかった人なら、議論の筋道を追うことはそう難しくないと信じる。信じる者が救われるとは限らないのが辛いところだが。
そろそろ文章を書くのがいやになってきたので、今日はここまで。

*1:そのこと自体は別に非難されるべきことではない。日常言語の文章では、厳密さのみを追求することはあまり得策ではなく、文章の読みやすさや円滑さのためには、ものの道理をわきまえた読者なら脳内で適切に補完できる程度に省略するほうが好ましいことは言うまでもない。

*2:上の註の言い回しにならえば、ものの道理をわきまえていない読者がもしかしたらそう考えてしまうかもしれないというような考え方。

*3:こんな文章にいちいちつきあっていられないと思う人はここで読むのをやめてもいっこうに差し支えない。

*4:すなわち、「ある作品がライトノベルであるのは、その作品の著者がその作品をライトノベルだと思っている場合であり、かつ、その場合に限る」ということ。

*5:ほかの仕方でパラフレーズすることも論理的には可能だが、前段と同様にそのような可能性は黙殺する。

*6:従って、ある作品がライトノベルレーベルから出ているという事実について誤認がなければ、その作品の著者がその作品をライトノベルだと思っているという事実について誤認することもない。

*7:この場合、事実認定に誤りがなくても、著者がどう思っているかについて誤ることがあり得ることになる。

*8:すでに見たとおり秋山氏の「ライトノベルの定義」は「ある作品がライトノベルであるのは、その作品の著者がその作品をライトノベルだと思っている場合であり、かつ、その場合に限る」と解釈されているのだから、第二段階で示された判断基準を強くとれば、「ある作品がライトノベルであるのは、その作品がライトノベルレーベルから出ている場合であり、かつ、その場合に限る」と言ってしまえる。そう言ってしまえるものをそう言わずに、上で引用したような言い方をしているのは冗長だということになる。