「なんでもあり」の世界にもミスや間違いはある

時間がないので思いつきを走り書きする。
小説というのはもともと作り話なのだから、どんなに奇妙なことを書いても「これはこの作中世界においては事実なのだ」と強弁して間違いを認めないことができる。だが、なんでもかんでも作中世界の事実だというのは、ふつうの読者の直観には反する。
たとえば、時代小説の大家が何となく書いてみた異世界ファンタジーで、主人公一行が訪れたドワーフ村の住民たちが皆こびとサイズで背中に羽根をはやして飛び回っていたら、「そりゃ間違いだ」と言いたくなるだろう。もちろん、ドワーフに羽根のあるような世界を設定することは勝手だが、何の趣向もなく、ギャグですらなく、ただ淡々とそのような記述があるだけだとすれば、作者の勉強不足を非難してよい。
もうひとつ、例を挙げよう。子供の頃からラノベばかり読んで育って、学生時代にラノベ作家としてデビューして、会社勤めの経験のない作家がいて、ずっと学園ものばかり書いてきたけれど、ファン層の平均年齢が毎年1歳ずつ上昇していくのをみて、サラリーマン小説を書いたとする。その中で、主人公の上司の部長が出世して課長になるという描写が、これまた何の趣向もギャグもなく、淡々と書かれていたならどうだろう?
どちらのケースも、作者と同程度の知識しかない読者には、そこに書かれていることが間違いだとはわからないので、非難の声が挙がったときに「課長が部長より偉い会社も探せばどこかにあるだろう。一歩譲って、仮に日本中のどこにもそんな会社がなかったとしても、これは小説なんだから全く問題ない。フィクションの世界に現実世界のルールをごり押しするのはいかがなものか」などと言って擁護するかもしれない。でも、誰が何と言おうが、間違いは間違い、ミスはミスだと思う。
もちろん、歴然とした間違いとそうでないものとの判別が常に紛れなく確実にできるとは限らない。だが、白とも黒ともつかない灰色領域を認めるとしても、真っ黒が灰色と同じだということにはならないし、ましてや真っ黒が真っ白と同じということにもならない。
なお、今回の文章は特定の作家・作品を暗に非難するという趣旨のものではありません。