エル・グレコが倉敷を空襲から救った!??

わしの眼は十年先が見える―大原孫三郎の生涯 (新潮文庫)

わしの眼は十年先が見える―大原孫三郎の生涯 (新潮文庫)

大原美術館を創設した実業家、大原孫三郎の伝記。まだ美術館には行ったことがないが、そのうち行ってみたいと思っていて、予習のつもりで読んだのだが、美術館よりも慈善事業関係のエピソードにページが費やされていた。それはそれで面白かったのだが、予想していた内容とは違ったので、やや拍子抜けした。
美術館に関するエピソードとしては、冒頭近く11ページに次のような記述があった。

昭和七年、満洲事変調査のため来日したリットン調査団の一部団員が大原美術館を訪れ、そこにエル・グレコをはじめとする名画の数々が並んでいるのに仰天する。
このことから、日本の地方都市クラシキの名が知られるようになり、太平洋戦争下も、世界的な美術品を焼いてはならぬと、倉敷は爆撃目標から外された、といわれる。

これが本当だとすれば面白いのだが、有名な「京都の文化財を守るために原爆投下が回避された」という伝説にも似た胡散臭さを感じる。
この後、大原孫三郎が倉敷に連隊が配属されるのに反対した*1ために倉敷が軍事基地を持たない町となり、空襲を免れたという説も紹介されている。こっちのほうがありそうな話だ。
ともあれ、グレコの『受胎告知』がゴッホの『ひまわり』と同じ運命を辿らずにすんだことは幸いだった。

*1:大原孫三郎が経営する工場で働く女子工員への配慮からだそうだ。