おとといはヘーゲル、カント、ヒュームを読んだわ、きのうはアインシュタイン、ニュートン、今日はヴァイツゼッカー

奇妙なはなし (文春文庫―アンソロジー人間の情景)

奇妙なはなし (文春文庫―アンソロジー人間の情景)

伝説の名作「たんぽぽ娘」を今日読んだ。
この本を買ったのはこの時だったから、5ヶ月も前のことだ。ずっと積んであったのだけど、今月は未読本消化月間にしようと思い立ったので、手をつけることにしたのだ。
最初は「たんぽぽ娘」だけ読むつもりだったが、気が変わって最初から順に読むことにして、およそ5分の2ほど読み進めたところだ。まだまだ先は長い。
今日の見出しは、「たんぽぽ娘」で何度もリフレインされる名台詞「おとといは兎を見たわ、きのうは鹿、今日はあなた」の捩り。填め込んだ人名はヒロインの父親の蔵書から。粗筋もオチも大昔に読んだ『夢探偵―SF&ミステリー百科』で知ってはいたが、さすがにこんな細部までは紹介されていなかった。

「父がどれくらい本を読むと思います、ランドルフさん? わたしたちのアパートは本ではちきれそう! ヘーゲル、カント、ヒューム。アインシュタインニュートンヴァイツゼッカー。わたし――わたしだって、すこしぐらいは読んでいるわよ」
「ぼくも同じくらい本は集めた。だけど実際、読んだのは少しだね」
ジュリーはうっとりとした眼差しで彼を見つめた。「すてき、ランドルフさん。わたしたちには共通する趣味がたくさんあると思うわ!」
あとに続く会話は、彼女の言葉を一点の疑問もなく立証した。もっとも男と女が九月の丘で論じるには、超越美学とバークリー哲学と相対性理論はあまりふさわしい話題ではないだろう――特に男が四十四、女が二十一ときては……。

この箇所を読んで、ふと長門有希を連想した。性格も容姿も言動も全く違っているのだが、ジュリーは長門有希の原型ではないか、と思ったのだ。もちろんこれは根拠のない憶測に過ぎないし、そもそも「ハルヒ」の登場人物に喩えるなら朝比奈みくるのほうだろう、と後から思い直したのだけれど。
そんな妄想はさておき、上で引用した箇所にはある種の読書人にとって理想的なシチュエーション――しかしあまりにも理想的すぎて、多少とも世間を知ってしまうと素面では想像するだけでも気恥ずかしい――がストレートに提示されている。そんなロバート・F・ヤングの「甘さ」を手放しで受け入れられるほどの子供ではなくなってしまったものの全く心動かされないほど年老いていないことを、喜んでいいのやら悲しむべきなのやら。