食料自給率向上のために

先日書いた低炭素社会実現のためには本気度30パーセントくらいだったが、今回はややアップして50パーセントくらいだ。心して読まれよ。
まず、食料自給率とは何か。例によってウィキペディアから引用する。

食料自給率(しょくりょうじきゅうりつ)とは、1国内で消費される食料のうち、どの程度が国内産でまかなわれているかを表す指標。食料を省略して自給率と言われる場合もある。

次に農林水産省/食料自給率ってなんですかも見てみよう。

食料自給率(しょくりょうじきゅうりつ)とは、私たちが食べている食料のうち、どのくらいが日本で作られているかという割合(わりあい)のことです。

これの説明だと、仮にケサランパサランの国内生産量が100グラム、消費量も100グラムでも、国内生産のケセランパサランすべてを輸出して消費するケサランパサランすべてを輸入でまかなっていたなら、ケサランパサラン自給率は0パーセントということになってしまうのではないかと思う。もちろんそんなことはなくて、現に国内で消費されるケサランパサランのすべてが輸入品だとしても、輸出を止めればそのすべてを国産品でまかないうるのであれば、自給率は100パーセントとなる。
食料自給率とは、このように、現実の生産と消費の実態にべったりの概念ではなくて、可能的な事態への言及を含んでいる。だとしたら、危機管理の観点からは、現に消費される食料の量ではなく、残飯や暴食を控えて生存可能な最低限度にまで押さえ込んだ場合の自給率*1というものも考えられる。逆に、短期的に増産可能な限度をベースにした「潜在的食料自給率」などというものを計算してみてもいいかもしれない。
それはさておき。
いま、日本で単に「食料自給率」と言ったときには、カロリーベース総合食料自給率を指すことが多い。個別の品目の自給率は重量ベースで計算できるが、そのまま合算すると重さがまちまちなので、それぞれの食料のカロリーを基準にして計算したものだ。ただ、このカロリーベース食料自給率には批判も多い。その一例を紹介しよう。

日本の食糧自給率が「カロリーベース」で39%というのは、数字を低く見せるためのごまかしで、金額ベースでは68%ある。カロリーベースというのは、たとえば豚肉の国内自給率にそれぞれの飼料自給率をかけて計算するので、豚の53%は国内で飼育されているが、農水省の定義によれば「国産豚」は5%だけだ。

しかしこの「カロリー」の定義は間違っている。飼料には穀物だけではなく、それを加工するエネルギーも含まれているから、その熱量を含む総合的なカロリーを考えると、線形計画でよく知られているように、供給量を決めるのはボトルネックになる資源、すなわち石油である。その自給率は0.3%しかないので、石油がなくなったら、穀物がいくらあっても、生きていくことはできない。

「食糧自給率」と書かれているが、「食料自給率」と同じことだろう*2。「数字を低く見せかけるためのごまかし」というのはなかなか手厳しいが、確かにカロリーベース自給率の考え方にはやや恣意的なところがある。上でも指摘されているように、現在の農業に必要不可欠な石油の自給率を全く勘案していないのだから、「ごまかし」と言われても仕方がない。もし、各品目のカロリーに占める石油の寄与度に応じて石油自給率を掛け合わせて計算すれば、カロリーベース食料自給率はもっと低くなることだろう。ここには、明らかに数字を高く見せかけるための……あ、あれ?
それはともかく、牛や豚などを育てるための飼料自給率を計算に入れるのなら、穀物や野菜などを育てるための肥料自給率も計算に入れなければバランスを欠く。仮に、海外からの肥料の輸入がストップしたなら、日本の農作物の生産量がどの程度落ち込むのか、検討しておかなくてはなるまい。
こんなことを考えたのも、少し前に店頭から国産野菜が消える? 米・中が肥料の輸出を実質禁止という記事を読んだからだ。本当に「店頭から国産野菜が消える」かどうかは疑問だが、少なくとも最近肥料価格が高騰しているのは確か*3だ。
オーストラリアの旱魃やバイオエネルギーとの競合などで世界的に穀物価格が上昇しており、食料自給率の向上を主張する声が高まる一方で、比較的自給率の高い野菜も肥料価格の高騰により生産基盤が脅かされている。これが今の日本の食を取り巻く現状だ。
さて、ここからが本題だ。
海外からの肥料の輸入が危うくなりつつある今、食料自給率の向上を目指すには肥料を日本国内で調達しなければならない。だが、天然資源に乏しい日本に肥料の原料となる物質があるのだろうか?
あるのだ。
天然資源には恵まれていなくても、日本には豊富な人的資源がある。敗戦後の焼け跡から立ち上がり、めざましい成長を遂げて世界有数の経済大国になったのは、ひとえに人的資源を有効に活用したからだ。いま、日本の経済力には翳りがみえていて、往時のような躍進は求めるべくもないが、人的資源が枯渇したわけではない。今こそ、日本は人的資源をフル活用して、黒船、敗戦に次ぐ第3の国難に立ち向かうべきなのだ。
現在、都市部の多くの家庭や事業所ては人的資源を水に流している。このような無駄は許されるものではない。人的資源は流さずに留め置いて、肥料に用いるべきだ。そうすれば、日本の肥料自給率はたちまち100パーセント近くにまで跳ね上がり、かつ、余計な人的資源が川や海を汚すことも防げて一石二鳥だ。
ところで、読者諸氏の中には「そんな人的資源なんか使わなくても、肥料がなければ無肥料栽培をすればいいじゃないか!」と異論を唱える人もいるかもしれない。確かに「無肥料栽培」で検索すると、無肥料栽培がいかに素晴らしいかという情報がわんさかあって、もうそれだけでおなかいっぱい、という感じがするほどだ。ただ、根があまのじゃくなもので、こんなに都合のいい情報ばかりだと、かえって不安になってくる。
無肥料栽培の是非を論じるだけの学識も経験もないので、さしあたり判断は差し控えておいて、参考になりそうな記事を3つほど紹介しておくことにしよう。

追記(2008/07/14)

上の文章の中で「ケサランパサラン」と「ケセランパサラン」が混じっているのを今発見した。同じ文章の中で「食料自給率」と「食糧自給率」の表記の不統一を指摘しておきながら、こんなミスを犯すとは……。
こっそり訂正しようかとも考えたが、あまりフェアではない気もするので、そのままにしておくことにした。

*1:Kousyoublog | 食料自給率(カロリーベース)の計算ってそういうことかでは「必要カロリーベースの自給率」または「日本人が飢えない基準としての食料自給率」と言われている。

*2:同じ人が食料自給率という幻想 - 池田信夫 blogでは「食料自給率」を用いているが、これは特に使い分けを意図したものではなくて、単なる文言の不統一だと思う。

*3:神戸新聞|経済|肥料価格6割アップ 農業にも高騰の連鎖の恐るべき折れ線グラフを見よ! これに比べると原油価格の値上がりなど、まだかわいいくらいだ。