子宮に処女膜はない

処女厨叩きのフェミ厨が邪知暴虐すぎる - Thsc経由で処女厨的な、あまりに処女厨的な - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wakeを読んだ。
で、ちょっと疑問があるのだけれど……。

女性という財の交換において、求められているのは未使用の性器、それも内性器=子宮だ。……(略)……「処女厨」の直感的な気持ち悪さは、誰かが端的に指摘したように、女性を物にし性器に切り詰める視線に由来する。……(略)……父権的な制度内での女性の交換においてフェティッシュとしての子宮の価値が女性の価値全体とみなされる、その眼差しが、さらに交換=婚姻そのものと切り離されて性的に消費される。

この文脈で、なぜ子宮に言及し、それを強調しているのかがわからない。
「昔は女性の地位が低くて、跡継ぎを生む道具としてしか見られていなかった」というような話をしているのなら、子供を産む道具のコアとしての子宮に着目するのもわからないでもないが*1、いま話題になっているのは処女性だ。
もちろん、性行為と受胎・妊娠の間には密接な関係があるため、処女性に関する議論に子宮は全く無関係ということではないが、「処女厨」の、女性を物にし性器に切り詰める視線の、その中心にあるのは子宮ではなく膣ではないのだろうか?
もっとも、レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』を読んだことがなく、ケレーニーという人(?)名を初めて見たような門外漢の言うことだから、物凄くとんちんかんな間違いをしでかしている可能性*2はなきにしもあらず。

*1:でも、「子宮を使用する」とか「未使用の子宮」というような言い回しは、通常の日本語にはないのではないかと思う。

*2:たとえば、文化人類学用語の「子宮」は医学や生理学用語の「膣」を指しているのだとすれば、ここで述べた疑問は一挙に解消することだろう。