身体髪膚受之父母不敢毀傷孝之始也

 しかし、そう、まずは最もありふれた、そして最も深刻な問いから始めてみることにしよう。つまり、「中絶は殺人か、否か?」。

 書いてみてあらためて思うのだが、意味のない問いである。単に「殺人」とは何か、あるいは「人間」とは何かという定義の問題になってしまう。ある意味では殺人であり、またある意味ではそうではない、という程度のことしかいえそうにない。

「中絶は殺人か、否か?」というのが意味のない問いであるのだとすれば、「中絶は女性の権利か、否か?」というのも単に「権利」とは何かという定義の問題であり、意味のない問いだと言えそうだ。もちろん、それはただの詭弁に過ぎないのだけど。

 ぼくたちにとって、自分の肉体が自分のものである、ということは、あまりにも当然の、第一の権利である。もし、ある日、突然、あなたの右腕を使う権利はあなたのものではない、国家が管理する、といわれたら、だれもが不条理だ、と感じるだろう。

「自分の肉体が自分のものである」ということは、実はあまり当然なことではない。この主張が成立するためには、権利の主体である「自分」と権利の客体である「自分の肉体」が予め分離されていなければならないが、日常生活でそんな実感を抱いている人も、自らの肉体に対する権利を行使している人も、ほとんどいないことだろう。もし、ある日、突然、あなたの右腕を使う権利はあなたのものだ、といわれたら、だれもが不可思議なことだ、と感じるだろう。
ほかにも引っかかる点がいくつかあるが、とりあえず2点のみ。機会があれば、また考えてみたい。