人工妊娠中絶はいかなる場合に容認されるべきかをいかなる基準で決めるべきか
- 1)胎児には十全な基本的人権がある。いかなる理由においても中絶は認められない
- 2)胎児には限定された権利がある。母体側に著しい権利の侵害があるとき、胎児に重篤な障害があるときなどは、中絶が認められる
- 3)胎児の権利というものに意味はない。
1)はローマカトリックに見られる立場。3)は僕の立場にゃんね。
ところで、一見すると穏当そうな2)なんだけれど、実はこれにはパーソン論や優生思想の、少なくとも部分的な導入が必要になるのですにゃ。胎児に生存が見込めないほどの重篤な障害がある場合には中絶を認め、かつ【胎児の権利】を認めるのであれば、パーソン論や優生思想を導入せざるをえにゃーわけだ。
1)はローマカトリックの立場とは違うんじゃないか、と思ったらコメント欄でそれを指摘している人がいた。まあ、胎児には十全な基本的人権があると認めるならば、胎児の生存権を侵害する中絶は決して認めることができないということは確かだと思われるので、それがローマカトリックの立場と同じかどうかということは大きな論点ではないだろうとは思うが。
それはさておき、人工妊娠中絶を容認するかどうかという点に焦点をあてるなら、やはり3つの類型が考えられる。
- 類型A(全面的中絶反対論)
- いかなる理由においても中絶は認められない。
- 類型B(制限付き中絶容認論)
- 中絶が認められる場合と認められない場合がある。
- 類型C(全面的中絶容認論)
- いかなる理由においても中絶は認められる。
先の1),2),3)とここで挙げたA,B,Cの組み合わせを考えてみると、
- 1)は全面的中絶反対論であるから、類型Aのみと整合し、B及びCとは矛盾する。
- 2)は制限付き中絶容認論であるから、類型Bのみと整合し、A及びCとは矛盾する。
- 3)は中絶反対論の有力な根拠である「胎児の権利」を認めないというだけの主張しか含まれておらず、類型A,B,Cのいずれとも整合する。あとは「胎児の権利」以外に中絶を制限するような根拠を認めるかどうか、認める場合にはその根拠がどの程度の強さをもって主張されるかによって類型A,B,Cのいずれを採用するかが決まる。
地下生活者氏*1の立場が全面的中絶反対論ではないことは明白だ。では中絶を全面的に認めるのか、否か?
【胎児の権利】が存在しにゃーのであれば、あるのは母体と周りの人たちの権利とか都合だけですにゃ。つまり、産む側の都合で中絶することが認められるということになりますにゃ。
とか
妊娠した理由のいかんにかかわらず、中絶を認めるという立場ですにゃ。
という記述をみると、全面的中絶容認論に与しているようにも思われる。
だが、「予告追記」においては、
コメント、ブクマコメントなどを拝見して、やはり補論をあげないとあまりにも問題が多いと感じましたにゃ。
人工妊娠中絶を、妊娠にいたった「理由」で制限するべきではない、というのはここで述べたとおりなんだけれど、
- 妊娠の全期間において、妊娠に至った理由のいかんを問わずに中絶が認められるべき
とは考えられにゃーからです。
と書かれているので、やはり全面的中絶容認論ではなく制限付き中絶容認論なのだろう。ただ、その制限の基準が「妊娠中の期間」のみであり、中絶しようとする「理由」を不問とするなら、マラソンに参加する為に中絶する*2のも容認することになるだろう。個人的な意見をいえば、このような理由で中絶することを容認したくはないのだが……。地下生活者氏が補論においてこの点をどう処理するのか注目したい。
*1:はてなIDを呼称として用いることには抵抗があるため、できればハンドルで呼びたいのだが、残念ながらそれを知らないので、ここでは仮に「地下生活者氏」と呼んでおくことにする。
*2:はてなブックマーク - 妊娠中のマラソンは愚挙か権利か? - 一本足の蛸のROYGB氏のコメントから借用。